今回の課題図書はこちら。
著者も本書の冒頭で語っていますが「これまで生きてきて悪口を言ったことがない人、言われたことがない人はいるだろうか」という問いに、なんと答えるでしょうか。
この本では「悪口」というものを、哲学的に理屈っぽく明らかにしてみよう、と試みた本です。
そして面白いことに”はじめに”で「先に答えをいっておきます」と結論が語られています(^^)
悪口とは、「誰かと比較して人を劣った存在だと言うこと」と定義しています。
ただ著者は注意を忘れません。
「あっそ、と思われるかもしれませんが、『人を傷つけることば』とか『悪意を持ってことばで攻撃すること』といった常識的なことを言っていない、とも気づいてください」
(本書”はじめに”より抜粋)
3つに別れたパートの1番目では「悪口はどうして悪いのか」という問い掛けに答えるパートとなっています。
傷つけるから?
でも悪口ではないけど人を傷つける言葉もあります。
「別れましょう」
言われた方は傷つきますが、これは悪口でしょうか。
悪意があるから?
「君、賢くないね。あ、全然悪気なんてないから。だって私より成績悪いでしょ。事実を言っているだけだよ。」
本人が本当に悪意を持っていなかったとしても、これって悪口にならない?
普段、”ふつうに”、”常識的に”なんて思い込んでいることに対して、「それってホントそうなの?」という問いかけがいろいろ盛り込まれています。
悪口ってそもそもなんなのか。
いったいどこからどこまでが悪口なのか。
悪口はなぜ面白いのか。
これが本書の大きな問いかけです。
普段気にかけないような概念に対して、あらためて向き合ってみるということは、気づきがあったり、認識をアップデートできたり、なかなか興味深い体験です。
本書はそういった「改めて見つめ直す」楽しみを見せてくれています。
個人的に気になったのは、全人類を対象とした概念を語ろうとしている一方で、登場する例やたとえが、一部かなり日本人に偏っているところでしょうか。
謙遜を美徳としているところや、敬語だとか、人にさしいれするときに「つまらないものですが」と言いながら渡す習慣などは、典型的な日本特有の習慣です。
読んでいくと、それらの例やたとえは本書の軸をぶらすほどではないので、日本の読者がわかりやすいように、という配慮だとは思うのですが、短い期間ながらも他国での生活をしたことがあるものとすると、ちょっと違和感を感じました。
それでも本書の問いはなかなか面白いですね。
私見ですが、言葉が攻撃的になるときって、自分を守るためという自己防衛的背景を抱えているときではないかと感じています。
つまり、攻撃”される”という危機感を感じているということです。
罵ったり、大声を出したりするのは直接攻撃する姿勢で、自虐は、自分で痛みつけることで人から受けなくて済むという間接的な姿勢、とざっくりしたイメージです。
なので、攻撃的な言葉に対して直接応対するのは、火に油を注ぐ結果を招くことが多く、その”攻撃的な言葉”をなぜ発したくなっているのか、というところに目がむくと、解決の糸口が見つかる可能性が広がるんじゃないか、と。
普段何気なく使っている概念に、あらためて問いかけをするのも面白いですね。
「嬉しい」ってなんだろう、とか、「幸せ」ってなんだろう、とか、逆に「不幸」ってなんだろう、とか。。。
”あたりまえ”に対して一度疑問をなげかけることで、新しい気付きを得られることを楽しめるかもしれません(^^)