48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

伯母来訪

父の一周忌は8月。

 

ここ数年亜熱帯化している東京において8月に外出するのは、なかなか大変になってきました。

 

なので一周忌では母の兄弟は体調を鑑みて一周忌は不参加。

 

気温が落ち着いてから改めて実家にきてもらってお話ししましょう、ということになってやっと気温が落ち着いた10月後半。

 

母の妹弟とその奥さんの3人がやってくるということで、お弁当を手配していたのですが、当日になって弟さんの体調がイマイチということで、母の妹だけが来訪することに。

 

2つお弁当が余ることになったのですが、急遽私の妹と姪がくることになり、そちらに回すことで一件落着。

 

昨年の五十日祭でお会いして以来なので、ほぼ1年ぶり。

 

後期高齢者になると色々と体が思うようにいかない、と伯母。

 

親戚とはいえ、こうやってゆっくり話をする機会はあまりなかったので、新鮮な時間です。

 

若い頃から外資系の会社に勤めていた伯母は、後期高齢者の年代の人たちに対するイメージとはちょっと違って、比較的ロジカルで合理的な考え方をしていることを感じました。

 

今話していても話のツボがなんとなく合うなぁと。

 

おそらく当時はかなり生意気扱いされたんじゃないかと(笑)

 

いまさらの新しい発見。

 

母の年代が今抱えていることは、20年、30年先に自分が経験する可能性が高いわけで、とても人ごとではない。

 

「高齢者より若者だろ」そういう論調を時々耳にすることがある。

 

大抵は若い世代だったり、働き盛りの世代だったりが多い。

 

自分に不自由がないと、そういう気持ちになるのもわからなくもない。

 

でもいずれそんな自分たちが高齢になって直面する状況を想像できているだろうか。

 

いざそうなったときに「高齢者より若者だろ」と同じ主張をするだろうか。

 

「なぜ年金が出ないんだ」とか「なぜ高齢者の非課税枠が縮小されるんだ」とか「なぜ医療費負担が上がるんだ」とか文句言ってるんだろうなぁ、なんて穿った見方をしてしまう。

 

それはいけないことなんだろうか。

 

実は多くの人がそういうタイプなんじゃないか、と感じることが多い。

 

私自身もそういう側面がゼロとは言えないだろうと思う。

 

そう、わがままなんですよね(笑)

 

そんな我がまま人たちをある秩序に乗せるということが行政の役割の一つではないかと考えると、政治家の仕事というのは、とても大変な仕事のように感じる。

 

「高齢化対応」か「少子化対応」か二者択一ではなく、両者を包含できるような世界をどうやって作っていくか、という問いかけが求められる時代。

 

総選挙で我々国民はどういう意思を表明するのか。

 

この日のお弁当。食べる量が減ると、少量多品種じゃないですが、ちょっとずついろいろな種類、というタイプが嬉しい。