今回の読書会はこちら。
発売してすぐはAmazonでも入庫待ちになるなど、すでにベストセラー的な様相あり。
先日読書会で扱った、「働き手不足1100万人」と合わせて読みたい本です。
「少子」と「高齢化」のダブルパンチは、
・働ける人がまず絶対的に減る
・面倒をみなくちゃいけない人数割合があがる
という絶対的に避けられない状況をもたらすわけで、すでに
・路線バスが運転手不足で減便
・トラック運転手不足で流通に影響
・介護士の不足
なんていうことはすでに身近で起きています。
先日は、連休で稼ぎ時だというのに企画列車の運転手がいなくて運休、なんて自体も起こりました。
社会インフラを保つために必要な働き手、すなわち「エッセンシャルワーカー」が不足する、という自体が始まっています。
これが年数が経つともっとひどくなる、というのが「働き手不足1100万人」の話でした。
それに対応していくには、
・AIなどの導入で自動化・省人化をはかっていくこと
・社会インフラの改革:交通網、税制、労働法、居住地域など
・思考の転換:神様は「お客様」ではなく「働き手」、副業当たり前、拘束時間緩和など
といった改革が必要、と当書では示していました。
そして本書では輪をかけて、「一方でホワイトカラーの仕事はなくなる」という警鐘です。
なぜなら、「AIなどの導入による自動化・省人化」の発展で、ホワイトカラーが今やっている仕事の多くは「人がやる必要がなくなるから」です。
「ホワイトカラー」すなわち、乱暴にいえば「企業に雇用されて働くオフィスワーカー」。
私が若い頃の時代では、勉強して、偏差値の高い学校に入り、偏差値の高い大学に入り、大手の企業に就職し、家庭持って、持ち家持って、定年まで働きあげて、ローン完済して、年金で悠々自適、がサクセスストーリーでした。
今はそのほとんどが様相が変わった社会となっています。
・勉強:スポーツやゲームなどの才能が活かされる場が増えてきたし、子供の頃の学業成績が後のHappinessと必ずしもリンクしなくなっている
・偏差値の高い学校:今やそんな意味あるの?
・偏差値の高い大学:日本の大学は堕落してるし、海外という選択肢もでてきた。
・大手の企業:スタートアップで成功する方が魅力?
・家庭:養育費を考えると簡単ではない
・持ち家:ローンに縛られる生活はリスク?
・定年:数年で転職が普通
・年金:日本の年金財源は甚だ怪しくなってきた
私のように何も考えず大学いって、遊んで就職したりすると、「あなたはどんな価値を提供できるんですか?」と、”価値を産めない”人となってお払い箱になってしまうでしょう。
著者の富山さんは、キーとして
・腕に職
・ローカル経済
を上げています。
私の解釈でいえば、「直接的に価値を提供できる」こと。何かしらの「技量」を持って(腕に職)、見えない相手ではなく見える相手に(ローカル経済)価値提供をする、ということです。エッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事はその一群でしょう。
極端な話、これからの仕事は
・経営者
か
・エッセンシャルワーカー
と私は解釈しました(^^)
これよんでふと思ったこと。
あ〜自分は自ら「ホワイトカラー」というステージから11年前に降りてたんだ、と。
いろいろな思いはあったけど、企業の中で自分がやっていくことに違和感を強く感じていたのかもしれません。
「働き手不足1100万人」、「ホワイトカラー消滅」、その前に読書会で扱った勅使河原真衣さんの「働くということ」など、最近読んだ本には
「働く」ということは「生活費を稼ぐ手段」というより「生きることそのもの」
という捉え方が共通しているように感じました。
確かにこれからはそういう社会なのかも。
これからの生き方、ちょっと考え直してみようかな、とふと思い始めました。
ちと待てよ。。。
うちの父は定年前に早期退職したのですが、その後一切働かなかったなぁ。ずっと遊んでいたぞ(笑)
ま、それも人生(^^)