今回読んだのは吉村昭著作の「漂流」です。
舞台は天明5年(1785年)、土佐(今の高知県)の水主、長平が春を売る酌婦と一晩過ごした舟宿の朝から始まります。
土佐では、嫁にしたい女性を友人らの手を借りて誘拐して、女性の親に結婚の承諾を迫るという「かつぎ」というなんとま不思議な伝統的風習があり、長平がそのかつぎに加わって物語は動いていきます。
長平は水主頭を始め数人の水主と共に荷物の運搬の任務を終えて帰路に入ったおり、シケにあい、舵や帆を失った船は自力でコントロールする力を失って"漂流"してしまいます。
黒潮に流されてたどり着いたところが、八丈島よりはるか南方で、今はアホウドリの繁殖地として有名な鳥島でした。
一時的人が住んでいましたが、現在は無人島で島全体が特別天然記念物のアホウドリの繁殖地ということで、天然記念物(天然保護区域)となっています。
後にあのジョン万次郎も漂着した島です。
さて、船は波によって岩場に打ちつけられて破壊され、水も食料もない島に途方に暮れる乗組員たち。
壮絶な無人島でも生活に乗組員たちは次々と死んでいき、長平1人になってしまいます。
絶望のどん底にあった長平も死のうとしますが死にきれず、この地で骨を埋めようと腹をくくりました。
その後大坂船、薩摩船が難破し乗組員が漂流してきます。
中には病気で亡くなる者、帰国できる可能性がないことを悲観して自殺する者がでます。
長平が流れ着いて12年、ついに彼らは帰国を果たしました。
この船が難破して、12年も経って長平という人物が帰国したというのは、実際にあった話です。
その事実については「野村長平」で検索すると色々とネットで知ることができます。
漂流してから帰国を果たすまでがこの小説の醍醐味ですが、ネタバレになるので割愛します(^^)
長平が遭難して帰国したという"事実"は当時の記録を追いかけることで知ることができるので、この作品もその辺りは忠実に描写していると思います。
一方で12年に及ぶ無人島生活については、彼らの日記があるわけではないので、実際はどうだったかは不明です。
しかしこの本を読むと、あたかもその無人島生活の様子が日誌に書かれていたように、非常に丁寧に描写されています。
当然吉村氏による創作なのでしょうが、遭難と帰国という史実の間を綺麗に埋めるような仕上がりになっているのが、この作品の凄さだと感じます。
そして作品を通じて、人間の強さと弱さの両面をじっくり描写していて、その人間臭さがなんともリアル感をあげているようです。
草木がない。川も、池もない。そんな土地に漂流してしまった。そして見渡す限り海で船1つ見えない。そんな状況で「生き続けよう」という気力はでてくるものなのか。
生きる力について考えさせられます。
体力、耐力、適応力。
人が生きていく上で必要な力を集約するとこの3つになるのかもしれません。
それを長平が示してくれた気がします。