今回の読書会の課題図書はこちら。
歌手の米津玄師さんが本書を読んで「面白かった」といってたインタビューが紹介されて、一時期Amazonが入荷待ちになってしまってました^^;;
本書は、学問や知識を大切にする「教養主義」がどのように変化し、衰えていったのかを分析し、日本の教育や学生文化の移り変わりをわかりやすく説明しています。
私にはなかなか難解な内容かなぁ、と感じられたので、じゃっかネタバレ的なところはありますが、少し概要について触れておきます。
著者は「教養」を単なる知識の詰め込みではなく、人間としての幅や深みを持つためのものと考えています。
その「教養」に対する意識が時代とともに変わってきている、と述べているのですが、ここでいう時代は、
・戦前から戦後直後に至る「旧制高校」の時代
・戦後の新しい学校教育法に基づいて定められた「新制高校」の時代
・学生運動を起点としてそれ以降
と大きく3つに分けています。
「旧制高校」の時代は、「教養を身につけることが、人格や生き方の基本になる」と考えられていて、哲学や文学を深く学ぶことが「一流の人間」になる道で、「教養こそが人生を豊かにする」と信じられていました。
代表的な人物として、丸山眞男や高橋克己といった人物が紹介されています。
この時代、岩波書店の本を持っている事が”教養”を示す一種のステータスになっていました。
戦後となり「新制高校」の時代になると、高度経済成長の中で、知識よりも「実用性」や「効率」が求められる社会に変わってきます。
ただ旧制高校ほど「教養」を重んじるわけではないが、まだ「学問」や「知識」の価値が信じられてきました。
並行してマルクス主義が浸透し始め、もともと教養主義的な価値観を持っていた知識人が、後にマルクス主義を受け入れた教養主義的マルクス主義や、もともとマルクス主義的な立場にあった人が、教養の重要性を認識するマルクス主義的教養主義が登場します。
これは教養主義とマルクス主義に重なる部分があったことが要因と思われます。
そして大学進学が一般的になって、勉強が教養を得るのではなく、受験の手段に変わっていきます。
一方で、「教養なんて関係ない!本能のまま生きる若者の時代が来た!」という主張もみられるようになり、その代表的な例として石原慎太郎が登場します。
そして1960年〜70年代の学生運動の時代に、社会の変革を目指す学生たちが「教養」よりも「実践」を重視するようになりました。
教養が社会での成功や実用性と結びつかなくなった結果、多くの人が教養に対して関心を失ってきた、それが「教養主義の没落」と著者が指摘しているのです。
著者は本来の教養とは「人間としての奥行きを深め、より良く生きるためのもの」とし、あらためて「本来の教養とは何か」を問い直し、その価値を再認識することの大切さを伝えようとしていると捉えます。
このブログを見て本書を読んでみようと思われた方々の理解の一助になれば、と思います(^^)
私自身一時期岩波の本を読もうと、「岩波100冊プロジェクト」をやろうとしたことがありました。
このときは、純粋に何かを学ぶことで自分に何か深みみたいなものをもてたら、という漠然としたものでしたが、さすが岩波、簡単には読めません(笑)
時代とともに情報が簡単に手に入るようになり、世の中の仕組みが複雑になってきて、昔(それがいつの時代であろうと)に比べて処理しなければならない事項が多くなってきています。
効率化、無駄を排除することを良しとする流れになるのはある意味自然なことかもしれませんが、”無駄なこと”があるからこそ、心の豊かさがもてるような気もします。
役に立たないことや意味のないことに携わったり、興じたり(^^)
