先日読んだ「スマホ時代の哲学」に関連することについて独り言。
とりとめのないことを、ダラダラと綴ります^^;;
本書では、スマホの登場によって常時接続できる安心感、逆に接続しないことによる不安感、スマホからの情報発信が爆発的に増えたことによる情報過多、という現象が起きていることが、スマホ時代の特徴といっています。
ふと自分に目を向けると、常時接続したいという欲求はあまりなく、接続していないことへの不安もあまりないと思います。
まあそれだけならスマホを触らなければいい、だけの話です(^^)
ただ私の場合どちらかといえばスマホを遠ざけたいくらいの感覚があるのは、おそらくもう一つの情報過多、というところなのかなぁ、と。
自分の脳みそのキャパが足りないからだと思うんですけど、いらない情報が入ってくると頭が一杯になっちゃって、おいしくもない食事でおなかいっぱいになって苦しい、みたいな感覚に陥っちゃうんですよね(笑)
常時接続って、いつでもアクセスできるという利便性はありますが、いつでも”捕まる”という側面もあるので、ちょっとした束縛感を感じてしまうのは、若くないからか^^;;
今は飛行機の国際線でさえもインターネット接続できるらしい。
それこそ自分が学生の時代は黒電話の時代でしたから(笑)電話をうけるのは”家”でしかできなかったんですよね。
ましてやテキストを送る手段は”手紙”(^^)
だから「いってきまーす」と家をでて学校につくまでは、誰ともつながっていなかったから、本や新聞を読むか、寝るか、という選択肢はあったものの、1人で思いにふける時間が多かったなぁ、と思い起こします。
今思うと1人の時間がたっぷりあったその時代って、ある意味贅沢だったのかもしれません。
先日の週末1人晩酌のときの食事(^^)
やげん軟骨、ローストビーフはスーパーで買ってきただけ。チーズとハムは切って並べただけ。
ただメインだけはちょっと調理しました。先日の住人会議で作ったナスステーキ。
たまたま八百屋で米ナスがあったので自分でも食べてみよう、と思ったもので。
1人晩酌のときは手を抜きまくって買ってくるだけが多かったのですが、珍しくちょっと料理してみました。
料理って、実は貴重な1人でいられる時間かもしれない、と作りながらふと思いました。