48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

売茶翁

売茶翁をご存知だろうか。

 

その前に読み方が難しい(^^)「ばいさおう」と呼びます。

 

私は、先日のNHKの「歴史探偵」という番組で取り扱った「天才絵師 若冲と応挙」という番組で登場したことで初めてその名前と存在を知りました。

(画像:NHKプラスのホームページより引用)

 

肖像画をほとんどかかない伊藤若冲が残した数少ない肖像画のモデルとなったのが、この売茶翁という人物なんだそうです。

 

売茶翁という人物がどういう人物なのか、ChatGPTに訊いてみました。

 

=====以下ChatGPTより=====

基本情報

  • 本名:高遊外(こうゆうがい)
  • 通称:売茶翁(ばいさおう)
  •  生没年:1675年(延宝3年)頃 - 1763年(宝暦13年)
  • 出身地:肥前国(現在の佐賀県嬉野市とされる)
  • 職業・立場:黄檗宗の僧 → 在野の茶人

 

人物概要

  • 黄檗宗の僧侶として出家し、仏教修行を積みましたが、のちに寺を離れ、自ら「茶を売ることによって人を教化する」という道を選びました。
  • 京都を中心に、路傍や寺社の境内などに席を設け、「茶一服、仏法一席」の精神で人々に煎茶を振る舞いながら禅の思想や人としてのあり方を説きました。
  • 豪華な茶室ではなく、誰もが立ち寄れるような「野点(のだて)」形式に近い自由な茶会を好み、形式にとらわれない煎茶文化の原型をつくりました。

=====以上ChatGPTより=====

 

NHKの番組では、

 

「それまで培った地位や名声を捨てて、自分の信じる道に身を投じた人物で、その生き方に若冲が惚れ込んだ」

 

と紹介されていました。

 

写生を通じたトレーニングで磨き上げた技術で何年もかけて描く大作を残した若冲ですが、若冲自身も晩年は「米斗翁(べいとう)」を称して、ササッと簡単に絵を書いてお米1斗と交換して生計を立てていたといいます。

 

この晩年の生き方が、まさに売茶翁の影響をうけていると番組では語られていました。

 

当時すでに屈指の画家として名声のあった若冲ですが、弟子をとって自分の技術を伝えるということには関心がなかったようで、純粋に絵をかくことを楽しみたかったのではないか、ということです。

 

なお番組で若冲の比較対象となっていた応挙、すなわち円山応挙も現在の国宝を1点、複数の重要文化財を残しており、当時すでに若冲と並んだトップ画家。

 

彼は対照的にたくさんの弟子をとっており、近現代の京都画壇にまで続く「円山派」の祖となっています。

 

解体新書を一緒に翻訳した前野良沢杉田玄白のその後の明暗にかぶるものを感じます。

 

 

 

自分の生きたい道を生きる、誰しもが憧れる生き方でしょうし、そうはいかないという現実に直面して思うようにいかない、という人も少なくないでしょう。

 

その前に、どんなことをしたいの?という素朴な疑問を自分にむけてみる(^^)

 

日本を良くする、とか、世界を変える、とか、世界一になる、とか、金持ちになる、とか、そんなだいそれたことは全然頭にない(笑)

 

身体にまとわっているいろいろなしがらみをほどいてみて、ふと考えてみると・・・

 

やっぱり旅をしたいですね。

 

世界旅行もいいのですが、日本国内でもまだまだ新しい発見があると思っていて。

 

旅の様子を文字にして伝えてみたいな、と。

 

 

 

ま、その前にやるべきことをしっかりやっておかないと、と現実に引き戻される(笑)

 

 

8/7 追記:こういう本もあるようです。