『増補 復興の書店』を読みながら、書店とは何か、そして人にとって本とは何かを改めて考えさせられました。
本書は、もともと2012年8月に小学館から単行本として刊行され、2014年11月には小学館文庫として出版された作品です。
その後、岩波現代文庫に収録される際に「補章 能登の書店」が加えられ、内容が拡張されています。
したがって本書は、東日本大震災における書店の姿だけでなく、その後の出来事も含めて、「災害と書店」というテーマをより広く捉えた一冊となっています。
震災直後、人々にとって必要だったのは水や食料といった生活必需品でした。
しかし少し時間が経つと、書店を訪れ、本を求める人たちが現れます。
著者はその様子を通じて、「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉の意味を、現実の出来事として描き出しています。
印象的だったのは、多くの人が本を「たった一人の世界に入って、心を充電させるツール」として求めていたという記述です。
災害という極限状況の中で、人は誰かとつながることを求める一方で、自分一人の時間もまた必要としていたのだと思います。
人は物質的な充足だけでは生きていけないということが、そこから伺えます。
生活が成り立つための最低限の条件が整ったとしても、それだけでは心は満たされない。
どこかで自分に戻る時間や、意味を感じられる何かが必要になるのだと思います。
同時に、人は「孤独」と「つながり」の間を行き来している存在とも見えます。
人と関わることで安心を得る一方で、ずっと他者と一緒にいると疲れてしまう。
だからこそ、一人で本を読む時間が必要になる。その往復の中で、人はバランスを取っているのかもしれません。
もう一つ印象に残ったのは、「ずっと無我夢中ですよ。本屋をやっている意味なんて考えたこともない」という現場の声です。
普段、私たちは物事の意味や意義をつい言語化しようとしますが、当事者はそんなことを考える余裕もなく、ただ目の前のことに向き合っている。
けれど、その積み重ねの結果として、後から意味が見えてくるのだと思います。
つまり、意味というのは最初からあるものではなく、行動の後に立ち上がるという一面もあるかもしれません。
この本を通じて見えてきたのは、人は物質だけでは生きられず、孤独とつながりを行き来しながら、後から意味を見出していく存在だということです。
そして書店という場所は、その営みを静かに支える場の一つになりうるポテンシャルを秘めていそうです。
気になるのは、書店そのものの経営が厳しい状況におかれていること。
以前この読書会でも取り扱った「町の本屋はいかにしてつぶれてきたか」で、その厳しい現実の一端をみました。
本書で紹介された”復興した”本屋の中には閉店に追い込まれた店舗もあります。
意義やポテンシャルはあっても、それを継続的に活用していく仕組みはそう簡単ではないことが伺えます。
本屋さんにとって、大きな変化を起こした現象の一つはAmazonの登場でしょう。
欲しい本が簡単に検索できて(Prime会員になれば)輸送費用をかけずに手元に1〜2日で届けてくれる仕組みは、並大抵の本屋さんには真似できません。
本を手に入れる「効率」はかないませんが、本屋に行くときって、欲しい本が必ずしも決まっているわけではないですよね。
ただ漫然と並んだ本を眺めたり、ちょっと手にとって流し読みしてみたり。
ふと「これいいかも」という本に出会えることも。
そんな偶然性があり、視覚、触覚、(ときには嗅覚も)といった感覚を使えるのは本屋さんならでは。
店員さんと話したり、本屋さんが企画するイベントに参加したり、というのは、リアルな店舗だからこそできる”体験”。
可能性と現実とのギャップ。
それをとても強く感じました。

