今回の課題図書は、E.H.カーの「歴史とは何か」。清水幾太郎訳の岩波新書版です。
1961年にケンブリッジ大学で行われた連続講義をまとめたもので、60年以上前の書籍とは思えないほど、今読んでも問いかけてくるものがある作品です。
本書の核心は、「歴史とは何か」という問いに対する、カーなりの答えです。
歴史の事実というものは客観的に存在するものではなく、歴史家がそれを取り上げ、意味づけることで初めて「歴史的事実」になる、とカーは言います。
過去に起きたことすべてが歴史になるわけではなく、歴史家が選び、解釈し、文脈の中に置いてはじめて「歴史」として立ち上がるのだ、と。
さらにカーは、歴史家自身もまた時代と社会の産物であると指摘します。
だから歴史を読む前に、まず「その歴史家はどんな立場の人間か」を確認せよ、と言うわけです。
歴史とは過去と現在の絶え間ない対話であり、歴史家の視点を抜きには語れない、ということですね。
また、歴史における「原因」と「進歩」についても深く論じています。
歴史の研究は原因の研究であると言い、かつ「進歩」というものをどう捉えるかについて、理性の拡大という観点から論じています。
歴史の外側にいたグループや民族が歴史の中に現れてくること、それ自体が理性の拡大であり、歴史の前進であるという視点は非常に示唆に富んでいました。
さて、ここからが私の所感です。
この本、正直はじめは読むのがしんどかったです(笑)
学術的な論述が続くので、慣れるまでは「難しいな〜」と感じる箇所も多くありました。
ところが読み進めるうちに、あちこちに「ハッ」とさせられる言葉にいくつか出会うことができました。
特に印象に残ったのが、歴史家は歴史の「裁判官」ではない、という指摘です。
つい私たちは、過去の人物や出来事を現代の価値観でジャッジしたくなる。
「あの政治家は悪かった」「あの判断は間違いだった」と。
でもカーはそれを戒める。
歴史家の仕事はジャッジすることではなく、過去と現在を対話させることだ、と言うんです。
これは歴史の話だけでなく、日常の人間関係にも当てはまる話だな、と感じました。
ついつい人のことを自分の物差しで裁いてしまうことって、ありますよね。
でもその人には、その人の育った環境や時代があるわけです。
それを無視してジャッジしても、本当のことはわからない。
カーの言葉は、そういうことを静かに教えてくれているような気がしました。
もうひとつ刺さったのは、「ある時代の偉人というのは、自分の時代の意思を表現し、それを時代に向かって告げ、実行できる人間だ」という言葉です。
偉人は真空の中で生まれるわけじゃない。
時代という土壌があってはじめて、その人の力が引き出される。これは裏を返せば、「自分がその時代を生きていることの意味」を問われているようにも聞こえます。
47歳で脱サラして起業した自分自身の経験を重ねると、「時代の空気を読んで動く」ということの意味が、少し違って見えてくるような気がしました。
さらに、「すべての人間の行動は、どういう見地から見るかによって、自由でもあり、決定されてもいる」という言葉。
これは深い。
自由意志と決定論の話は哲学の世界ではおなじみのテーマですが、カーがこれを歴史の文脈に置いたとき、「歴史を動かしているのは個人か構造か」という問いに静かに答えているように思えました。
どちらが正解、ではなく、見方による、という立場をとっていることが、かえって誠実に感じられます。
難解な本ではありますが、「歴史ってなんだろう」「自分はどういう立場でものを見ているんだろう」と問い直すきっかけになる一冊です。
岩波新書の棚に長く居続けているのも、納得でした。
ちなみに、私は書籍で購入したのですが”第97刷”でした(^^)

