初めての村田沙耶香作品です。
先日の読書会で読んだ、「なぜ日本文学は英米で人気があるのか」で紹介されていた、「近年英米で人気が出ている作品」の1つです。
もちろん日本でも芥川賞を受賞するくらい、十分すぎるくらい話題になった本の1つですが、今まで全く手にすることがありませんでした。
「なぜ日本文学は英米で人気があるのか」では近年活躍されている多くの”女性作家”が紹介されていたので、自分もこういった話題の本は読んでおくべきかなぁ、なんて思ったのですが、自分の好みに合わなかったら残念だなぁ、と、まずは楽しめる可能性がありそうな一冊として本書を選びました。
実際読んでみてどうだったか。
おもしろかった(^^)
コンビニバイト歴18年、彼氏いない歴36年の古倉恵子36歳が主人公。
日々コンビニ食を食べて、夢の中でもレジをうち、「店員」として世界の歯車になれていることに居心地の良さを感じている女性です。
作中では明確に提示されていないものの、発達障害(特にASD、自閉スペクトラム症)の傾向を強く持つ人物として描かれていますが、単に「発達障害の人物を描いている」のではなく、むしろ”健常者”とされる側のもつ暴力性をあぶり出しているところが、本作品の面白さと感じます。
古倉恵子の視点をいくつか抜粋して紹介します。
いろいろな人が、同じ制服を着て、均一な「店員」という生き物に作り直されているくのが面白かった。(中略)皆、制服を脱いで元の状態に戻った。他の生き物に着替えているようにも感じられた
そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。
私の身体の殆どが、このコンビニの食料でできているのだと思うと、(中略)、この店の一部であるかのように感じられる。
泉さんと菅原さんの表情を見て、ああ、私は今、上手に「人間」ができているんだ、と安堵する。
どうでしょう。
私は発達障害に対する知見はあまりないのですが、古倉恵子の言動に、いちいち「もっともだな」と思う部分がたくさん。
そう思うと、周りのいわゆる”健常者”と言われている人たちの振る舞いが、実はかなり暴力的な圧力をかけてきている(同調圧力とか、「普通」という概念の押しつけとか)感覚にさえなるのである。
古倉恵子は、そんな”暴力”から避けるように距離をおきつつ、でも社会で存在していかなければならないという一種の使命感を大事にしようとしているのか、社会の歯車になることでその気持ちを満たそうとしているようにさえ見えます。
その社会の歯車が、まさにコンビニ店員なのです。
そして本人なりに「社会に適合しよう」という努力をしています。
両親や妹の言動で「自分は”普通”ではないらしい」という理解をしていて、そんな家族を悲しませたくない、喜ばせたいのがその理由。
さらに本書を読む限り、彼女には”欲”というものが皆無のようにみえます。
物欲、金欲、権利欲、出世欲、名誉欲、承認欲求、性欲などなど。
まったくない。
果たして彼女は”障害者”なのだろうか。
価値観の異なる人たちが集まる環境では、それぞれの価値観だけで行動をすると衝突が増えることが予想されるので、ある程度の”共通ルールや価値観”を設定し参加者が合意することで、”社会”が形成されます。
同調圧力や普通の押しつけは、この”共通ルールや価値観”を求めていることなのかもしれません。
でもそれが行き過ぎると、ときに暴力的になってしまう怖さがあると思います。
シェアハウスの運営でも似たような視点を感じます。
多様性って、言うは易しですが、自分のこととして受け止めようとすると簡単ではないです。
でもその簡単でないことに向き合うことで自分の住みやすい世界が広がる期待感を感じる一方で、閉じられた世界に包摂されることで得られる安心感にも、なにか共感するところがあります。

