今回の課題図書は久しぶりのドキュメンタリー小説、吉村昭作の高熱隧道です。
昭和11年8月に着工し、昭和15年11月に完工した黒部第三発電所。人間が踏み入れない渓谷にトンネルを掘鑿(くっさく)する工事の模様を描いた小説。
登場人物はフィクションですが、実際にあった話をベースにしているので、臨場感たっぷりの小説です。
この工事、犠牲者が300人を超えるという難事業。
重たい資材を背負ってせまい山道から滑落するもの、ダイナマイトの誤爆でバラバラになってしまうもの、恐ろしい雪山に襲われたもの(内容はネタバレになるので控えます)、実にあっけなく人が死んでいく環境で、ひたすらトンネル貫通を目指す男たち。
最大の難所は、岩盤温度が165℃にも達する高熱地帯。
工事事務所長の根津と工事課長藤平という2人の人物を軸に、極限におかれた人間たちの模様を実に丁寧に描いています。
この小説では、工事事業がピンチにあい、絶望的な状況に陥りそうになりながら蘇ってくるという展開が何度も訪れます。
自分たちの力でなんとかすることもあれば、当時の状況(黒部ダム建設は重要な国策の一つでもあった)に救われることもありました。
しかし復活する都度、また多くの人達が次のトラブルで犠牲になっていくのは、なんともいいようのない気持ちにさせられます。
通常の数倍の給与がもらえるから、と、サウナのような洞窟で作業をする人夫たち。
激アツの風呂のような水たまりに腰までつかって火傷状態で作業をする人夫たち。
技師や人夫頭を信じて作業をしたのに、不慮の事故で命を落とす人夫たち。
散々な目にあっている人夫たちですが、命の危険を顧みないというか、ほぼ思考停止状態にも見えるのですが、そんな人達が一度気持ちがひくとそれを元に戻すのが大変。
そして指示をする立場にある技師たちが危険を感じるほどの空気を醸し出す。
「やられるんじゃないか」
よくテレビで見る群衆の暴動などと重なるイメージがあります。
トンネルが貫通し、目的を果たしたことで、意気揚々となるはずの根津や藤平は逃げるように山を降りていくラストシーンは、この小説で描かれている人間心理描写がよく表れている気がします。
指針を決定し指示する一握りの人間と、その指示に盲目的に追従する大衆という構図があって、その大衆は追従するときに盲目的ではあるけど、一つ間違えれば強烈な反抗をしめし、それも盲目的であるところに恐ろしさがあります。
この構図って、人間社会ではじつによくあって、国と国民、会社と従業員など、人の集まりがあればどこにでも生じうるものです。
そして自分は”大衆側”でない、と自認していても、実は自分より遥かに広く深い視野・洞察力を持った人にコントロールされていて、実は大衆側にいることに気づかず、世の中を知ったような気になっている人も少なくないでしょう。
コントロール側の暴走も、大衆の暴走も、いずれも怖いもので、その両方の怖さをこの小説は見事に描いているように感じました。
この小説で「泡雪崩(ほうなだれ)」という現象が登場します。
雪の塊が坂を滑ってくる雪崩とは違って、空気爆発のような現象らしく、宿舎が数百メートル吹っ飛ぶという強烈な現象らしいです。
多雪地域で発生するそうで、新潟県や富山県の豪雪地帯で起こったことが確認されているようですね。
1986年に発生した泡雪崩では、雪崩の速度が時速180kmと、新幹線並みの速度だったらしい・・・
初めて知りました。すごい現象があるんですね・・・