48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

“はっしー”ってどんな人?

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ブログ「48歳からの挑戦」を運営している「はっしー」です。

 

ここではプロフィールコーナーでは書ききれない「はっしー」について、恥ずかしながらご紹介させていただきます。50年以上も生きてきたのでちょっと長くなりますが、気長に御覧ください。

 

はっしー、とは

 本名:橋本 一郎(はしもと いちろう)

 

1966年の丙午(ひのえうま)生まれ。迷信を意にも介さなかった両親に感謝です。

 

生まれは東京ですが、これまでに20回ほど引越しをしているので、「ふるさと」というものに憧れています。

 

幼少期から野球にあけくれていたが、大学入学時に野球選手になる夢を捨て、ふらふらとバブル経済の社会をただよいながら就職しました。

 

47歳になる年に「あなたの世代は会社でメタボリックな存在だ」という世論の後押しを受けて、早期退職制度を使って退職。

 

社会人向けのはずのビジネススクールに無職で入学し、在学中に起業。シェアハウスの管理人として住み込みながら、複数のシェアハウスの管理運営しています。

 

経歴

1979年。中学から東大合格者日本一で有名な私立中に入学するも、野球とフォークギターにあけくれる落ちこぼれ学生でした。

 

1986年。名前を踏襲したわけではないですが、一浪して「♫ 都の西北」の歌でお馴染みの大学の理工学部応用物理学科に入学。大学4年時の専攻は「表面物性」。原子の結合状態を可視化する活動をしていました。クラシックギターのサークル活動、家庭教師と喫茶店でのバイトが主な活動でした。

 

1990年。大学卒業後、当時就職人気No.1で、ポータブルカセットプレーヤーやCDを世に出したことで有名な電機メーカーに就職。物理化学の分析、品質基準策定、ストレージ機器の開発・設計、プロジェクトマネージャー、事業計画や中期計画を策定する事業企画、海外事業所のサポートなどを経験させてもらいました。メーカーとしての流れはだいたいはわかります。

 

1993年。就職後4年目に結婚し、2人の子供に恵まれましたが、不徳のいたすところで数年後には別居、さらに10数年たって離婚となりました。

 

1998年。生まれて初めて海外に。しかも出張扱いでアメリカはシリコンバレーサンノゼに約5ヶ月。海外と英語が大っ嫌いだった私は、「食わず嫌い」という言葉を覚えることになります。

 

2001年。管理職に昇格してプロジェクトマネージャーに。当時としては社内でも昇格は早い方だったと思います。自分のプロジェクトで「100億円売り上げる」と啖呵切り、猛然とプロジェクトを動かしてたのですが、リリース直前で大きな問題が発覚。世界中の販売会社と顧客を失望させることになり、「世界中が敵になる」気持ちを経験しました。入社以来一番大きい挫折だったと思います。

 

2006年。仙台に赴任。新しいミッションであった事業企画業務がからっきし駄目だったので、修行のため1年の期限付きで仙台に赴任しました。しかし1年後、その期限は見事に撤廃され片道切符となります。仙台の寿司とお酒のファンだった私が喜んだのは言うまでもありません。

 

2009年。映画「フォレスト・ガンプ」の舞台となり、プロスポーツが1つもないアメリカ合衆国アラバマ州にある事業所に赴任。アメリカの運転免許をとり、確定申告して納税し、「海外に住む」ということを初めて経験しました。しかし赴任して1年後に事業所の閉鎖が決定。1年かけて事業所のクロージングを経験しました。従業員は全員解雇。設備も売却又は廃棄。「会社がつぶれる」というのはこういうことか、と実感しました。

 

2011年。東日本大震災。大雪だった前年のクリスマスに仙台に帰任していて、勤務先は津波に襲撃されました。私はたまたま中国の出張からの帰ってきた所で、飛行機が成田空港に着陸した10分後に、地震がきました。空港機能が止まってしまったため飛行機の中で8時間ほど缶詰となり、当日夜中にやっとターミナルに入ることができました。

 

この後2ヶ月仙台に戻れず東京にあった本部で安否確認や事業復興などに携わり、「生きる」ということを強く意識したきっかけにもなりました。

 

2012年。この東日本大震災をきっかけに、東京・名古屋・大阪で活動していたビジネススクールが仙台に開校することになり、復興業務で疲弊していた中、何か変わるきっかけになればと思ってクラスを受講。これが転機となります。

 

会社の看板関係なくスクールの人たちと接することで、自分がどれだけ井の中の蛙だったかを自覚することとなり、「自分の生き方」を考え直すようになりました。

 

2013年。仕事どっぷりだった私は、仕事を続けていては自分の生き方をじっくり見つめ直すことができない、と思い、3月末で退職をして東京に戻り、ビジネススクールの本科生として入学しました。経営学を体系的に勉強してみようと思ったのです。退職後に独立することを意識していました。

 

2014年。その過程で、「シェアハウスの管理運営」という事業を生業にしようと決め、7月に法人「アルメータ株式会社」を立ち上げました。社員1人、株主1人という極小企業の誕生です。ブログも起業をきっかけに立ち上げました。

 

www.almater.co.jp

 

2015年。起業後4ヶ月は全く無収入でしたが、その後アルバイトなどを経てご縁をいただき、6月に1棟目のシェアハウスをオープンしました。9月には2棟目をオープン。翌2016年には3棟目をオープンして現在にいたります。

 

キャラ

人からよく言われるキャラ(相手目線)

・人が良さそう

・話しやすい

・話がわかりやすい

・優しい

・まめ

・器用

マルチタスク

・女子力高い(?!)

・まじめ

・明るい

・かしこい

 

自分が思うキャラ(自分目線)

・短期だけど我慢強い

・聞き上手な方だと思う

・噛み砕いて説明するのは得意かも

・あっさり割り切ることも

・面倒くさがり

・細かい作業は意外とできる

・シングルタスク

・家事が得意になってきた

・頭固い

・一人旅も好き

・最近自分がおバカじゃないかと思う時がよくある

 

相手目線と自分目線は当然違うのですが、長く生きている分いろいろな面があるようです(^^)

 

趣味・好み

・野球:高校まで軟式野球部で活動。都大会ベスト8が最高。投手。

・ランニング:今スポーツで一番やっているのがこれ。年に1回はフルマラソンにでています。運営しているシェアハウスの1つは「ランニングシェアハウス」です。

・ゴルフ:今は年に数回程度のラウンドです。

乗り鉄:小学校の時から電車に乗るのが好きで、1年生の時から1人ででかけていました。

・1人旅:ふらっと身軽に旅するのが好き。予定は詰めずにゆったりと。

・飲む食べる:美味しい食事と美味しいお酒(^^) 酒は日本酒が一番。最近は1人酒を控えるようにしています。

・コーヒー:最後の仕事はカウンター数席のカフェのマスターが夢です。

・鯖:光り物が好きなのですが、鯖が一番好きです。

・テレビ:好みの番組は変わりますが、録画して1.5倍速で見るのが好きです。

・スポーツ観戦:オリンピックやワールドカップなど大きな大会だとジャンル問わず見るのが好きです。

 

最近あまりやっていない、あるいは過去やっていたというもの

・将棋:小学生の時によく指していました。今はあまり指しませんがニュースは気になります。

・漫画:最近は封印して全く見てませんが、さいとう・たかをさん、弘兼憲二さんの作品を好きで読んでました。

・競馬:10年位やってましたかね。今はすっかり足を洗ってます。

・ギター:中学の時にフォークギター、大学でクラシックギターをやっていました。

・卓球:実は小学校の時卓球部部長でした(笑)といってもお遊びレベルです。

 

これからやりたいなと思っていること

・満点の星をみながらキャンプ:降ってきそうな星をぼ〜っと眺めていたい(^^)

・自転車の旅:キャンプ場まで自転車で移動しテント生活。

・スキューバダイビング:オープンウォーターの資格を10数年前に取得して潜った経験があるのですが、それっきり。

・電車旅:国内ならローカル線、終点から終点にのって制覇(笑)

海外なら大陸横断鉄道。

・カフェ運営

 

生い立ち

生誕〜小学校

1966年東京は御茶ノ水駅前のどでかい大学病院で生まれました。退院後父の実家である麹町に帰ったのもつかの間、父の転勤で大阪の高槻へ。

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今ではすっかり忘れている大阪弁をきっと駆使していたに違いない幼少期。母方の初孫で大きな期待を感じていたかどうかは今となってはさだかではないが、小学校入学式当日自宅で鼻血を出し、あえなく欠席。人生たった一度の小学校入学式は未経験なのです。

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鼻血ショックが立ち直った夏休みに、父の転勤で千葉県は松戸市へ。小学校1年にして転校を経験します。この後小学校4年の冬に同じ千葉県の野田市に引越しをし、結局小学校を3校経験することになります。

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未だにいろいろなタイプの方々と仲良くなれるのは、この転校経験によって培われたのかもしれません。

 

小学校時代は成績は学年でトップだったことが多かったですが、本人は野球が何より好きで、毎日のように野球に興じていました。

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中学〜高校

中学受験で進学校に入学すると、成績はあっという間に最下位クラスに(笑)この時、「世の中は頭いい人がたくさんいるなぁ」と感じたものです。そして「世の中には自分よりできる人は数え切れないくらいいるんだ」という意識が染み付いた気がします。小学生時代の友人との旅行が息抜きだったかも。

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中学・高校時代も野球部で生活の中心であったのはいうまでもありません。そんな私でしたが、中学2年から友人の誘いに乗ってフォークギターを始めます。当時はさだまさし松山千春中島みゆきオフコース、チューリップなどがアイドルや歌謡曲とは一線を画して台頭してきたころで、すぐに夢中になりました。しかし、誘ってくれた友人が才能があったのと人一倍努力家だったこともあり、あっという間にギターが上達。自分のセンスの無さに愕然としていました(^^)

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浪人〜大学

大学受験は現役は最高学府1本に臨むも、見事に撃沈し浪人生活に。決して褒められた浪人生活ではなかったですが、第2志望の私大に合格し晴れて大学生に。浪人時代の夏休みに旅行なんてしてたから第1志望落ちたのかなぁ。。。

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大学時代はサークルとバイトにあけくれ、成績は落ちる一方。。。中学高校と男子校で1人しかガールフレンドがいなかったくらい奥手だった私は、新しくできた彼女にのめり込んで、まあ荒れた生活していました。当時はそれなりに一生懸命というか、精一杯だったのですが、今から思うと残るものがあまりなく、バイトして溜めたお金で留学やホームステイでもいってれば、また違った人生だったなぁ、と懐かしく思いつつ自戒の気分です。

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(写真に写っている他の方は無関係の方です(^^))

社会人〜結婚

世はバブル真っ只中の中、第1志望の会社に就職。よく遊んでよく仕事した、そんな独身時代でした。お金はなくても銀行口座を限度いっぱいまでマイナスにして借りていました。不思議と「返せる」という自信があったというか、能天気だったか。

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職場も2箇所経験して、それぞれの職場で同期の仲間ができたので遊び相手には事欠きませんでした。当時は月曜〜木曜は仕事して終わった後は誰かしらと飲みに行ってました。金曜日は5時に仕事を終えると、速攻で帰宅し車をだして女性の友達を迎えに行きます。そうです、バブル時代伝説の「アッシー」です。だいたい入社1年目で男性は車を買うので、何台かつらなって伊豆や信州といった地域へドライブ。日曜の夜は女性陣を家に送り、帰宅するのはいつも深夜。それでも月曜の朝は元気に会社にいっていました。いや〜、パワーありました(^^)

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(写真は元同僚です)

 

そんな遊び仲間の1人と結婚することになりました。早く結婚したいと思っていたので、同期の中でも早い方でした。子供も生まれ、安月給にも関わらず横浜に一軒家を新築で購入しました。1人目の子供が生まれた後に異動になり、その職場で段々と認められてきた時期でもあり、2人目生まれた時は、1年の3分の1は出張で不在なくらいのペースでした。生まれて初めて海外にいったのもこの頃。会社からの評価はどんどんあがり、収入も毎年100万円あがっていくのですっかり仕事にのめり込んでいました。しかし最も大切な存在であった家族との溝が大きくなっていたことに気づくのです。

 

別居〜退職

しかも自分自身が気持ちでダメになってしまい、話し合いも埒が明かず、ついに家出をします。まるで子供のようですね。でも当時の私にはそれしかできなかったんです。別居し、離婚裁判が始まったのですが私の主張は証拠不十分で認められず、私が敗訴。しばらく別居状態が続きます。その間皮肉にも仕事は順調に進み、大きな仕事を任せてもらうようになりました。

 

しかしそんな順調だった仕事も自分のプロジェクトでつまづいてから、思うようにいかなくなります。プロジェクトの後処理では何がなんだかよくわからない、そんな毎日でした。いつまでこんな状態が続くんだろう、と・・・プロジェクトを離れて新しい役割をいただくのですが上長とうまく合わず、ズダボロな毎日でした。

 

そんな時に仙台の部署にいた大先輩が私を気にかけてくれて、仙台に呼んでくれたのです。その代わりに自分の右腕だった優秀な部下を私の部署に異動させる、いわゆるトレードです。厳しくも愛情深いその先輩にリードしてもらい、徐々に自分を取り戻していきます。

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仙台の同僚たちにも認めてもらい、海外赴任の機会をいただきました。5年ほど赴任する予定でしたが、1年後に赴任先が閉鎖になることが決定し2年で帰任。

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その2ヶ月半後に東日本大震災が発生します。食べ物が調達できない。水がない。トイレが使えない。ガスがこない。ライフラインが壊れることでこれほど生活が変わり果てるのか、生まれて初めて体感しました。社員は幸いにも皆さん無事でしたが、社員のご家族で残念ながら犠牲者がたくさんいらっしゃいました。「今生きている」ということを考える毎日でした。

 

翌年仙台に開講されたビジネススクールを経て、「精一杯生きてみよう」そんな思いを胸に退職します。

 

シェアハウス事業

両親の今後のことを考えると比較的時間の自由が利くこと、また心から自分がやりたいと思えること、そんな活動を探していて出会ったのがシェアハウス管理でした。

 

家賃収入は時間的に自由が利く。昔は英語嫌いで外国を避けていたからもっと身近に外国人がいる環境。自分のこれまでの経験が役に立つ。こんな要素が重なったのが「シェアハウス」というものでした。そしてご縁をいただいていくつかの物件をお預かりしているのが現在です。

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はっしーSNS

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アルメータ株式会社のホームページ。こちらではシェアハウス事業の様子、私が寄稿したコラムが掲載されています。

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