昨日ラテマネーのことにちょっと触れました。
「ラテマネー」はアメリカの資産家ディビットバック氏が考案したネーミングで、元々は毎日何気なく飲んでいるコーヒーにかけているお金のことを指していましたが、現在はコーヒーに限らず、「普段何気なく使っているお金」のことを意味する言葉として使われている、とのこと。
(出典 https://www.grandvan.co.jp/grandvantime/6201)
よく指摘されるのが、カフェやコンビニ、自動販売機あたりでしょうか(^^)
昨日は1ヶ月、1年、10年なんて長い時間軸の話をしましたが、短いスパンでもいいですよね。
今日100円浮かせたから明日のランチはいつもよりちょっとグレードアップしよう、とか、今週1,000円貯まったから週末はブランチしよう、とか。
浮かせかたも無理するとしんどくなっちゃうので、ちょっとしたことの方がストレスなくできると思います。
水筒に冷たい麦茶いれて持って自動販売機で買うのを控えた、とか、今日はそんなにおなかすいてないからランチはいつもよりちょっと小さいものにしてみた、とか。
外食しようと思ったけどちょっと頑張って帰宅して自分でご飯つくってみた、なんていうのはすっごく頑張ったと思います!
「ちょっとしたお得感」って気持ちが上がりますよね。
しかもその「お得感」にちょっとでも自分の頑張りが関わると、達成感に近い満足感もプラスされるのでなおさらな気がします。
お金は生活の一部でもあるし、生活を豊かにするツールでもあるし、一方で人を傷つける武器にもなってしまう諸刃の剣的な顔をもっています。
そして普段つかっているレベルにあっという間に慣れ親しんじゃうすごい順応性も持っています。
普段1食に2,000円くらいかけている人は、それが当たり前で1,000円ランチをみたら「お〜〜、安〜〜〜ぅ!」と感激するでしょうけど、普段外食しない人や500円ランチが主流な人から見たら、「お〜〜、たっけ〜〜〜ぇ!」ということになるでしょう(笑)
高いも安いも絶対的な評価ではなく、何かと比較した相対的な評価です。
だから普段使っているお金のレンジが1万円とか100万円とか大きな人は、その単位でお金をみるし、1円、10円単位で見ているひとはその単位でお金を見ます。
サラリーマン時代に事業企画の責任者だったときは、その事業レベルが年間数百億円だったので、仕事のときの感覚はほぼ億円単位でしか数字をみていません。
独立した今は1人の家賃が数万円で年商も数百万円ですから、桁がぐ〜んと下がりました(笑)
扱うレンジがかわると見えてくる世界もかわってきて、こういうラテカフェ節約なんていうのが、見事にストライクゾーンに入ってきたんです(^^)
こういうことで嬉しさを感じられるのもお得な気がします。
そう、お金はたくさんあればいい、ってもんじゃない(笑)
”たくさんない”から感じられる幸せはたくさんあるのだ。
ということで本日の私のラテカフェ節約は、2つほど。
1つは自分でドリップしたアイスコーヒーを水筒にいれて出先へ。
コンビニのアイスコーヒー代浮いた〜〜。
(このボトルは330mlでコンビニだとLサイズなので180円の節約〜〜)
それから「一駅歩き」。
私が普段住んでいるシェアハウスの最寄り駅は曙橋で、ランニングシェアハウスは押上駅にあります。
曙橋から押上までは都営線乗り継いで267円(IC価格)。
曙橋から一駅進んだ市ヶ谷駅から押上駅に行くと、実は220円で、47円の節約!
往復で94円の節約になるんですね。(^^)
一駅歩くと行っても、曙橋と市ヶ谷の間にシェアハウスはあるので、実質は一駅にみたないプラスですし、歩く時間が増えることで運動量増えるし、英語のヒアリングする時間も増えるので、プラスになることもたくさん。
先程も書きましたがあくまでも「無理のない」形で。
それであまりケチケチせずおおらかに(^^)