先日Facebookで知り合いがこの記事をシェアしていたのでふと読んでみました。
50分お店の仕事をしたら、1回分の食事券がもらえるというユニークなシステムを導入したことで話題になった未来食堂の小林さんです。
テレビやネットで何度も取り上げられていることもあり、小林さんの経歴や未来食堂の内容などはあらためてここでは触れません。
この記事を読んで、まさに自分がここ1,2年に特に意識をし始めた概念に重なるものが多く、ちょっと驚きました。
誰かがある行動をとったときに、それが自分の期待するところと”異なった”時に、「それはだめ」と拒絶してしまう自分がいた、ということから「正しさ」との葛藤が始まったという小林さん。
そうなんですよね、拒絶や怒りの感情って、「自分の期待にそぐわない」言動から生まれることがほとんど。
「こうやって欲しかったのに」・・・やってくれなかった
「こんなことをしないだろうと思ってたのに」・・・やりやがった
まあ、こんなところです。
実はこんな状況ってシェアハウスでは四六時中起こっています。
汚れたらきれいにしてほしいのに・・・ほったらかし
洗ったらかたづけてほしいのに・・・やりっぱなし
つかなわないときは電気を消してほしいのに・・・つけっぱなし
しかもこういったことは、「やってください」と言っても、まあ素直に聞いてくれることはほぼない(笑)
理解できていないか、馬耳東風か、無視しているか・・・
そんときなんですよ。
昔の自分だったら、「ちくしょう、なんでだよ」みたいな感情が生まれて、それが自分にストレスとなって降り掛かってきていました。
そのストレスを相手のせいにしていたんですけど、これって実は天に唾するようなもので、自分で勝手にストレスに感じて勝手に自分の傷つけて、勝手に自分を被害者哀れみの対象にしているだけなんですね。
相手は人間。
行動にはたいてい理由や背景があります。
「きれいにしてくれない」という事例で考えてみましょう。
- 自分の国では家の中は土足が当たり前だったから床をきれいにしようという概念自体がない。
- 誰かがやってくれるだろうと思っているので自分でやる気がおきない
- きれいにしたいんだけど近くに掃除道具がなかったから面倒になった
- そもそもきれいであることに魅力を感じない
- 汚いほうが好き
- 「きれいにしてほしい」という管理人(権力者)に反抗したい
- 管理人が嫌い
などいろいろな理由が考えられるんです。
理由や背景がわかればそれぞれに対して手をうつことが可能です。
- 日本ではハウス内は清潔にする習慣を持っている人が多いからその概念を知ると日本文化をよく知ることができるんじゃない
- 誰かにやってもらったら何かお返しできることを考えよう
- 近くに掃除道具を設置する
- ここの物件以外にも選択肢はあるよ
といったいろいろな対応が考えられます。
自分が「いい」とか「素敵」とか「魅力的」と思っていたとしても、相手にとってそうであるとは限らないですね。
その現実を受け入れることができると、相手に「期待”しすぎる”こと」がお互いにとってもったいないように感じるようになりました。
そこには正しいか正しくないかではなくお互いにとってのよりよい選択肢をみつけるための言動が求められます。
と言葉にすることはできますが、いざ行動となるとなかなか(^^;;
「う〜〜ん、どうして・・・」という言葉が頭をよぎってしまうのは現実(^^)
そこでぐっとこらえて、「なぜだろう」と自問してよりよい選択肢を見つけにいく。
それがシェアハウス運営の根っこでもあるような気がしています。
小林さんは、自分の中に生まれてくる感情と目指している姿勢との矛盾やギャップを感じながら模索していらっしゃるように見受けられます。
そして不特定多数の方をお相手されているから思考範囲がとても広い。
私はまだシェアハウスの住人というある程度限定された世界ですが、それでも壁にぶつかることはしょっちゅう。
自分と正直に向き合ってチャレンジされている印象をもちました。
今度未来食堂にいってみよう。
(画像:Torus 未来食堂・小林せかいさんが向き合う 「正しさ」への葛藤|Torus (トーラス)by ABEJA より引用)