48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

”リーダーのあり方”〜「経営を見る眼」から

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皇居の田安門からみた桜です。

 

暖かくなって一気に花が開き始めました。

 

皇居の周辺は桜を愛でる人たちがたくさんいらっしゃいました。

 

 

 

さて昨日アップした「経営を見る眼」の読後感想ですが、内容について実はほとんど触れず、私が「よかった〜」と言ってるだけ、という実に中身がない内容だったと、自省(^^)

 

実はあまりにもたくさん共感、学び、気付きがあり、順に書いていったら、むしろ本を読んでもらったほうがいいだろう、くらいになってしまうのでちょっと控えました(^^)

 

でもまず身近なところから、機会見つけてご紹介していきたいと思います。

 

今回は第2部の題材であった「リーダーのあり方」から。

 

弊社は私1人なのでリーダーも何も上司も部下も同僚もいません(^^)

 

でも、今の仕事はリーダーシップの考え方がとても参考になる仕事だと思っています。

 

 

 

私の仕事はシェアハウスの管理運営。

 

シェアハウスという物件を”所有”しているのがオーナー。

 

シェアハウスを住むということで”利用”しているのが入居者。

 

その間にいるのが”管理運営”する私。

 

管理運営を委託する責任はオーナーにありますので、言ってみればオーナーは上司みたいなもの。

 

利用することで家賃を払うというアウトプットを出してくれるのは入居者なので、言ってみれば入居者がチームメンバーみたいなものです。

 

私はオーナーに期待以上の入居率を実現させ、入居者には気持ちよくアウトプットを出してもらうため役割を担っているので、言ってみればリーダーに近い存在かな、と思っています。

 

 

 

「経営を見る眼」によると、リーダーとは、という問いに対して、

 

人がついてくる、そしてついていこうと思う人

 

と定義しています。

 

すなわち、リーダーは「フォロワーが決める」人である、ということです。

 

私の場合に当てはめると、入居者によって私がリーダーかどうか決められる、ということになります。

 

あれあれ、管理者って入居者が決められるわけじゃないよね?

 

そうです、管理者がすでにいるところに入居してくるわけですから一般的には管理者を入居者が決めるわけではありません。

 

ポイントはそこではなく、

 

入居者に管理者として受け入れてもらえること

 

にあるというのが私の解釈です。

 

 

 

「経営を見る眼」では、ついていきたくなる人に必要な要素として

 

正当性と信頼性

 

をあげています。

 

正当性は「なぜその人がリーダーのポジションにいるのか」という客観的事実。

 

私の場合は一応管理者という立場であることを前提に契約していただいているので、この正当性はある程度担保できています。

 

大事なのは2つ目の信頼性。

 

この信頼性を支える大事な要素は「人格的魅力」と「ぶれない決断」であると「経営を見る眼」では説いています。

 

これはなかなか杓子定規にはできません(^^)

 

私に人格的魅力があるかどうかを自分で語るつもりは毛頭ありません。

 

ただ、入居者の人たちから信用してもらえるために心がけていることはあります。

 

フェアであること

筋を通すこと

感情で動かないこと

 

これは

 

自分だけが不利な立場になっているわけではない

管理者が悪いと判断するポイントは同じ

最終的には全体のことを考えてくれている

 

という安心感を入居者のみなさんに持ってもらうために必要な姿勢だというのが私の考え方です。

 

入居者の人たちが私を信用してくれるこことで、私との意思疎通がより深くなりお互いの期待を実現できる可能性を高めていき、それが住心地につながり、長期間の利用となり、高い入居率を実現することにつながる、と考えるからこそ、管理運営の肝の一つと思っています。

 

リーダーの役割は、「他人が自ら事を行うように仕向けること」と「経営を見る眼」で言っています。

 

ルールを守らない、マナーが悪い、こういったことは「やめなさい」といっても直るものではないです(^^)

 

ルールを守るように、マナーを良くするように仕向けるための施策が必要で、それは管理者の役割なんです。

 

普段の管理運営の仕事で一番頭を使うのがこういうところなんですね(^^)

 

 

 

信頼感を得るためにリーダーに必要な資質は「器量」であると説いています。

 

器量とは

考えことのスケールの大きさと深さ

異質を受け入れる度量

想定外を飲み込む力

 

だとのこと。

 

あ〜、まだまだ足りてない(笑)

 

普段心がけているのは「自分が判断、評価する前に相手がなぜそういう言動をとったのかその背景を想像し、まずそれを受け入れいること」です。

 

ルールを守らなかったすれば、なぜ守らなかったのか、あるいは守”れなかった”のか。

 

面倒くさかった、が理由だとすればなぜ面倒と思ったのか。

 

仕事で疲れていたのか、体調が悪かったのか、他のことに神経がいってたのか。。。

 

もしそういったところにいきつけたら「仕事大変なんだね」とか「なにか気になることあるのかな」といったところに話題を向けられます。

 

その人が抱えている課題にちょっとでも寄り添うことができれば、その人が抱えている課題を解決して、いきつくところルールを守ってもらえるようになれば、根本的な解決になります。

 

目指しているのはそういうところなので、大上段から「ルール守りましょう」ではないんですね。

 

どうしても個人個人とのコミュニケーションが中心になってしまいます。

 

ただ私は大勢より個々のコミュニケーションの方がなにか自分の力が発揮できそうな気がするので、そういう点でも私に向いている行動かもしれません。

 

 

 

 

経営は教育に近いそうです。

 

アメリカの教育者ウィリアム・ウォードの言葉を紹介しています。

 

The mediocre teacher tells.

The good teacher explains.

The superior teacher demonstrates.

The great teacher inspires.

 

凡庸な教師は、命令する

良い教師は、説明する

優れた教師は、範となる

偉大な教師は、心に火をつける

 

まだまだ修行が足りません(^^;;