48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

結局は自分

友人Aさんが先日新しいマンションに引っ越しをしたということで、ご招待いただきお邪魔してきました。

 

もうひとり共通の友人Bさんにもお声がけし3人でのお食事会。

 

こういう時期ですからね、もちろん手洗い、手指消毒、Social Distancing、ちゃんと対応した上で、です。

 

友人Aさんは2年くらい前から公私ともにいろいろとあって、今ある意味”リスタート”の地点にたったところ。

 

私と友人Bさんは大なり小なり、関わったり、話を聞いたり、とまんざらひとごとではなく、見守ってきたような立ち位置でしょうか。

 

そんなこともあって、我々2人をご招待してくれたのかもしれません(^^)

 

 

 

当然のことながらAさんのその後の経緯などを、ゆっくりお話をうかがうことに。

 

当時はAさんはいろいろときつかったことに直面していましたが、今は客観的に冷静に状況をうけとめられていて、その落ち着きぶりに、ほっと胸をなでおろした気持ちでした。

 

たくさん話を聞いたのですが、印象的なのは「結局は自分なんだよね」という言葉。

 

どういうことか・・・

 

人間関係がうまくいかなくなることは、程度の大小はあれど、社会に関わっている人間であれば誰しも経験するもの。

 

そんなとき、どう感じ、思うのか。

 

・あいつはひどいやつだ

・あいつはわかってくれない

・あいつは合わない

 

そんな「あいつ批判」は普通にでてくるもの。

 

私もそうだった。(^^)

 

そんなときに、

 

・ひどいけどいつもじゃないから、何かあるんだろう

・わかってくれないけど、うまく伝わってないかもしれない。

・合わないけど、工夫の余地があるかもしれない

 

なんて風に考える余裕が持てたら、相手のネガティブな反応に条件反射してストレスにならずに済ませられたかもしれません。

 

目の前に現れた現象をそのまま画面通りに受け止めるのではなく、現象の裏側に目を向ける余裕をもてるかどうか、それが「結局は自分なんだよね」の根っこなんですね。

 

私も耳が痛い(^^;;

 

若い頃はできなかったなぁ(^^)

 

だから離婚しちゃったしね。。。

 

今は年の功か、昔よりはできるようになってきたかな。

 

 

 

このブログでも時々こぼしているけど、シェアハウスの運営ってそんな心の余裕が結構肝のように感じています。

 

ルールやマナーを守って欲しい、といったって守”れない”こともあるわけで(^^)

 

「なんで守れないの」といってもなんの解決にもならない。

 

それよか「ルールやマナーについてちゃんと説明したかな」と相手が把握しているかどうかをまず確認してあげる。

 

もちろん入居時に説明しているんだけど、頭から消えてしまってることなんてよくあるし(笑)

 

そういうときは「いや〜」とちょっと鈍い反応がある。

 

「そっか、じゃあらためてなぜこのルール(またはマナー)があるか説明するよ」

 

と丁寧に説明する。

 

説明がおわって「わからないことあるかな?」と訊いてみる。

 

あれば丁寧に補足するし、なければ「理解してもらえたかな?」と念の為の確認。

 

「うん」といってくれれば「理解してくれてありがとう」とクローズ。

 

最近はこういうコミュニケーションが多くなりました。

 

ルールやマナーを守れないことを責めたいわけでなく、これから守ってもらえるためには、と思うなら、どうやって相手にわかってもらえるか、ということに頭は向くわけで、ルールやマナーを守らなかったという現象から受ける感情なんて、正直なんの役にもたたない(笑)

 

そう、「結局は自分」なんです。

 

そういう心境に至るまで葛藤や苦しさを自分の言葉で我々に語りかけてくれたAさんの話は、とても染み入りました。

 

結局3人でずっと話していて9時間(笑)

 

食事しながらゆっくりとこうやって語り合う時間の過ごし方、私の好きなことの一つかも。

 

 

 

さて今回集まった3人には共通項があります。

 

1つ:2人の友人はいずれも私の運営していたシェアハウスをご利用いただいていました(^^)

 

2つ:全員バツイチなんだ(笑)

 

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本件と全く関係ないけど、ひさしぶりに先日の夕飯にオムレツ作ってみました。