48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

和尚との対話

先日乙武さんとお話する機会があったことをご紹介しました。

 

そこに集まった30人の中には遠くからやってきた人たちもいらっしゃいました。

 

その一人が北九州で永明寺というお寺の住職をされているM和尚です。

 

私が最も敬愛し尊敬している和尚さんはこの方。

 

なんと地元で夕方まで自分主宰のイベントをやってから飛行機で飛んできて、翌朝の始発の新幹線で帰るという強行スケジュール。

 

それでもこうやって行動されるのですからすごい・・・

 

実はこのM和尚、”バズる”和尚でちょっとした有名人かもしれません(^^)

sasatto.jp

 

数々のユニークな表現を使ってご自身の活動をひろめていらっしゃいます。

 

M和尚、このシェアハウスがオープンした直後くらいに一度お越しいただいたことがありました。

 

 

石原慎太郎氏の講演会に、乙武さんとの会合をセッティングしてくれたKさんが招待してくれて参加した時、和尚はこの時も北九州から入ってシェアハウスに泊まって一晩中他の仲間たちと語らっていました(^^)

 

当時は空室がたくさんあり、夜中でもゲスト招いてずっと座談会もできましたが、今はほぼ満室に近い状態でハウスメイトそれぞれの生活があるので、同じようなことはもう叶わないと思っています(^^)

 

なので、あの頃の座談会は今となっては貴重な場だったかも。

 

当時和尚は、お寺の役割ってなんだろう、とずっと悩んでいらっしゃいました。

 

当時の座談会がヒントの一つになって、地元のコミュニティーの場となった今の姿があるとおっしゃられてました。

 

宗教という垣根を越えて、多様な人達を受け入れられるような場としてのお寺の姿は、日本の宗教の歩み方に似ているかも。

 

日本は八百万の神信仰だった縄文時代に稲作文化が大陸からやってきて、それとともに大陸人が支配をする弥生時代に入るころに神道が確立されますが、うまく融合していったようで、その痕跡が長野県の諏訪神社にみられると以前ブラタモリで紹介されていました(^^)

 

飛鳥時代には仏教が伝来し神道と激しく争いますが(仏教派の蘇我氏神道派の物部氏)徐々に神仏合体の様相を見せて、今でもお寺と神社が一体化したところは少なくありません。

 

受け入れたものを自分たちに都合がいいようにミックスしてアレンジして生活に溶け込ませるというのは、日本文化の特徴かもしれません。

 

餃子、ラーメン、スパゲッティー、カレーなどにも同様のことが観られる気がします。

 

 

 

そんな和尚は今では地元で大活躍されていらっしゃいます。

 

前回同様、今回もハウスに到着したのは夜遅く。

 

和尚は6時間後には電車に乗ってなければならないので、早く寝たかったであろうと思われましたが、「せっかくだから軽く飲みますか」とお誘いしてしまってリビングで2人の飲み会がスタート。

 

一応飲み会になってもいいようにお酒と簡単なつまみは用意してあったのですが、役に立ちました(^^)

 

”軽く”のつもりでしたが、話は尽きません。

 

乙武さんのこと、企画をしてくれたKさんのこと、初めてこのシェアハウスにきたときのこと、今の心境、今やりたいこと、将来について・・・話題が尽きることがまったくないんです。

 

和尚は時々、私の考え方がとても仏教的だ、と指摘してくれました。

 

しかもそれは仏教を学んだからではなく、自然とそういう色をみせるようになったものなんだそうです。

 

数年前にこのシェアハウスで座談会をしたときは「本物の和尚と限りなく和尚に近いニセ和尚」というタイトルがついていました。

 

本物の和尚はもちろんM和尚で、私は「限りなく和尚に近いニセ和尚」というポジションでした(^^)

 

今和尚から「仏教的なものの見方をされている」とご指摘いただいて、「限りなく和尚に近いニセ和尚」という面目躍如です(笑)

 

でも和尚は言いました。

 

はっしーは、だからといって仏教を”勉強”する必要がないどころか、むしろそういう勉強はしない方がいいくらい。ご自身の体験や知見で自然と育まれる物の見方にまかせておくのがいい」

 

生きること、心の弱さ、コミュニティー、失敗談などなど・・・

 

その後も話しは尽きず、M和尚は始発で帰路につくまで、ずっと私と飲みながら話してしまいました。

 

あ〜、和尚、お疲れのところ申し訳ありませんでした・・・

 

でもね〜、こんなにたくさんお話ができて楽しかったです(^^)