今回の読書会の課題図書はこちら。
恥ずかしながらこの本を読むまで富永仲基という人物を全く知りませんでした^^;;
江戸時代後期に町人学者、今で言う在野的な存在で、仏教、神道など日本に広まっていた宗教を「学術的に」捉えて今の仏教学の礎を作ったといっても過言でない人です。
この人の一番の功績は、「大乗非物説論」をおそらく世界で初めて主張したことかもしれません。
仏教は学校で習ったところによると、釈迦が創始者で、その後大乗仏教、小乗仏教にわかれアジアを中心に広まったとされています。
小乗仏教はタイなど東南アジアを中心に広がり、仏教の修行をした人が救われる、乱暴に言えばそういう教えで、上座部仏教という方が今は一般的かもしれません。
大乗仏教は中国、朝鮮半島、日本などを中心に広まり、修行した人だけでなく一般の人々も救われるという点が上座部仏教と大きく異なる点です。
念仏を唱えれば救われる、そういう教えですね。
日本では聖徳太子の時代に中国から仏教が輸入され、神道を司る物部氏と仏教を使って勢力を高めようとする蘇我氏との間で権力闘争が起こったのが、仏教歴史のスタートです。
その後平安時代になり、空海が密教を持ち込み真言宗を、最澄法華経から発展させて天台宗を創設し、高野山、比叡山が後の日本の仏教の中心地となるわけです。
鎌倉時代前後になって、法然による浄土宗、親鸞による浄土真宗、日蓮による日蓮宗、栄西による臨済宗、道元による曹洞宗など、この時期は多くの派が立ち上がります。
それぞれの始祖がそれぞれの解釈で人として生きる道を訴えていくという布教活動を展開し、今に至っています。
そしてその教えはすべて釈迦の教えである、というのが前提でもあったのですが、富永仲基は、「大乗仏教は釈迦の教えとは異なる別のものである」という説を唱えます。
これは当時からしてみたら、今まで信じていたことが崩れてしまうので、ある意味パニック。
仏教は幕府にも保護されていましたから、権威もあり、当時なりの常識というものもあったでしょう。
そんなことはお構いなしに、「これまでの経典を読んだらそういう結論になっちゃうんだからしょうがないじゃないか」みたいな(^^)
この富永仲基、なんと20歳くらいで仏典をほぼ読み込んでしまっていたようです。
そして病気のためにわずか31歳でこの世を去ります。
「大乗非物説論」は今では当たり前のこととして受け入れられていて、富永仲基の説は正しかったことが認められています。
そう、我々の身の回りにある仏教はお釈迦様の教えではないんです(^^)
後から後からいろいろなことが書き換えられ教えの内容が変わってきたんです。
これを富永仲基は「加上」と言っています。
でもこの「加上」、国の文化やその国民性、時代などによって当然起こりうるものであり、そうでないと伝承しないとも言っています。
仏教はインドで生まれました。
でもインドの国民性、生活習慣、文化は中国、日本とは全く異なります。
だからインドで生まれたものはそのままでは中国、日本では受け入れ難いのです。
だからその国に合わせて加上され、変化してきた、ということです。
面白い見方ですね。
本書は「大乗非物説論」を唱えた富永仲基の著書「出定後語」をベースに、その原本、現代語訳、解説というセットで構成されていて、流し読みはちょっとつらいかもしれません。
若干20歳で仏典を読み込み、「出定後語」に書いてあるような分析をしたことは、この本の題名にあるように富永仲基は天才だったかもしれません。
しかし、古にはそれこそ空海や最澄、他名だたる高僧がいたわけで、彼らこそ仏典を読んでそういったことに気づかなかったのだろうか、とちょっと疑問に感じるところもあります。
本当に気づいていなかったんだとしたら、富永仲基はすごい天才だと思われます。
逆に気づいていながらそれを表にあえてださなかったのだとしたら・・・
宗教を利用したいという気生臭い思惑が開祖と呼ばれる人たちにあったのでは、とちょっと斜めな視線をもちたくなります(^^)
まあ、宗教の世界はそう簡単なものではないでしょうから、浅はかな詮索は意味をなしません。(^^)
今よりもはるかに仏教、儒教、神道の影響を強くうけていた時代において、その権威や常識にとらわれず、事実に目を向けようとしてそれを見事に実行した富永仲基という人は、そのレベルの高さと若年がゆえに、やはり天才というにふさわしい人物なのかもしれません。
残念なのは彼の著作「出定後語」が、国学者の間で「仏教批判の根拠本」として悪用されその後の明治時代初期における廃仏毀釈運動に利用されてしまったことです。
なかなか興味深い人物でした。