父の命日から早くも四十九日。四十九日の法要は我々も馴染みが深い仏教の儀式ですが、葬式のときは無宗教でやった我が家。
なので四十九日の法要はなくてもいいか、なんて思っていたのですが、さすがに母や妹から「なにかしら区切りをつける儀式があってもいいのでは」という声があがりました。
父の母親が神道であったことや、私の友人に神主がいたこともあり、それでは神道で儀式をやろう、ということになりました。
仏教で言うところの四十九日の法要は、
仏教では人が亡くなるとあの世で7日毎に極楽浄土へ行けるかの裁判が行われ、その最後の判決の日が49日目となる
ためだそうです。
では神道ではどんな儀式があるのか。それが五十日祭といいます。
神式では、「葬場祭」または「神葬祭」と呼ばれる葬儀後、十日ごとに「霊祭(れいさい、みたままつり)」という法事を行い、五十日祭を通じて家庭を守る守護神として自宅の祖霊舎(神棚)に迎え入れる
ということのようです。
まだお骨は実家においてある我が家。
なので五十日祭も実家にて行うことにしました。
生まれて初めての体験。
仏式の四十九日と何が違うか。
仏式の位牌→神道では霊璽(れいじ)といい、形がちょっと異なります。書かれる名前も仏式では戒名(かいみょう)を仏様の弟子になったということでいただきますが、神道では亡くなった方は神様になるため、霊璽(れいじ)には神様としての名前をいただきます。
仏式のお経→神道では祝詞(のりと)といって、神霊の徳を称え感謝と信奉を伝える文章を神主さんが読み上げてくれます。僧侶および参列者が読経をすると、それなりに時間がかかる印象がありますが、祝詞は比較するとかなり短い。なので儀式自体は15分くらいで終わりました。
仏式の焼香→神道では玉串奉奠(たまぐしほうてん)といって、榊の枝をお供えします。仏式では手を合わせてお祈りをしますが、神道では二礼二拍手一礼とあるように、2回お辞儀をして2回手をたたき、もう一度お辞儀をする、が儀礼です。
仏式では特にお供えはありませんが、神道では、「海の幸」「山の幸」を神様に捧げるということで、野菜や海産物(昆布や小魚など)、それにお酒、塩、お米、お水と祭壇にお供えします。
亡くなった方は仏式では仏様に、神式では神様に、とそれぞれ違う姿ではありますが、現世から新しい世界へ旅立つ、という考え方としては似通ったところがあります。
神主さんは、父はずっと元気でいたけれど病気になってかつてない体の変化を感じ取って、覚悟をきめていただろうから、現世に思いを残さず天に召されたと思います、とお話いただきました。
確かに潔すぎるくらいあっけないと残された我々は感じるけれど、父からすれば、「俺はもういくよ。お先に」くらいの感じだったかもしれません。
儀式の後の食事会で参列いただいた親族と神主さんとで、父の思い出話を、ある意味明るい雰囲気でできたのも、神主さんの話が腹に落ちるからなんだろうなぁ、と。
父もみんなと楽しく食事をすることが好きでしたし。
一つ区切りがつきました。
(画像:UnsplashのJonas Gerlachが撮影した写真 )