48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

研究活動

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師走のためか、人と会う機会がいつもより多い気がします。

 

今回は仙台で同じ会社に勤めていた後輩Sさん。

 

東日本大震災の後会社をやめて大学の研究室に入り、今准教授として研究活動を頑張っている人です。

 

在職時代に若手の事業マインドを高めようという若手育成プログラムがあり、私はそのチューター、Sさんが受講者という立場でご一緒させていただいたのがきっかけ。

 

1年間のプログラムが終わった後も、何かと相談に来てくれて細くではありましたが、交流が続いていました。

 

彼の事業計画の内容が魅力的であったので、研究活動を続けてほしかったのですが、職場の事情で工場への出向が決まり、しばらくして彼は退職したのです。

 

大学への就職がかなって念願の研究活動に従事することができました。

 

この時期に東京にきているのは、スポンサー企業にこれまでの活動を報告し来年度の活動資金を取り付けることが目的。

 

研究活動も楽ではないですね。

 

聞けばスポンサー探しがかなり大変で、なかなか自分自身が研究活動に専念しにくい状況のようです。

 

研究活動をどのように支えていくかは、いろいろな意見があると思います。

 

民主党が政権をとったときに「仕分け」と称して政府が支援している研究活動の吟味をしたことがありました。

 

「なぜ1番じゃないと駄目なんですか?2番じゃ駄目なんですか?」という有名な問いかけがありました。

 

わずか10〜20分のやり取りで継続の可否が判断されるので、報告する側は膨大な時間と人間と労力をかけてプレゼンの準備をしたことは推測に難くありません。

 

湯水のように税金を使わせるわけにはいかない、少しは税金を使っているありがたみがわかっただろう、そんな声もあったでしょう。

 

私は苦々しく見ていました。

 

私は当時事業計画を作る立場だったのですが、事業計画を作るために多くの現場の人達を巻き込んで3〜4ヶ月かけて作業を進めていました。

 

入社当時にあった研究所も当時は殆どが閉鎖されて「S社の技術力はどうした?」という声をよく耳にしていました。

 

乱暴な議論ですが、研究活動はある程度まとまった金額を予算にあてて、あとは一切口を出さないというくらいのスタンスでないと、自由な発想が生まれなかったり育たないと感じています。

 

平成に入ってから日本の企業はバブルの崩壊とともに成長が止まりました。

 

コスト削減するときに真っ先にやり玉に挙がったのが研究費の削減。

 

明日の飯のタネを残す余裕がないくらい財務状況だったのかもしれません。

 

でもね〜。。。

 

適材適所で生産性を上げる、ということを考えたとき、研究に長けている人に苦手な営業活動を強いるのはどうかと。

 

もちろん研究もできてスポンサー探しもできるすごい方もいらっしゃるでしょう。

 

使っているお金のありがたさを感じてこそ、という人もいるでしょう。

 

でもね〜。。。

 

たくさん無駄があってもいい。

 

たくさん失敗してもいい。

 

そういったたくさんの無駄と期待はずれの結果があるからこそ、新しいことが生まれてくる可能性が高まるものではないかと思うのです。

 

今やっていることが将来どれくらいの価値なのか、そんなことはわからなくて当たり前。

 

スマートフォンの現在の普及をiphoneが生まれたときにどれくらいの人が認識できたでしょうか。

 

iphoneが出たときにApple企業価値は現在のように1兆円もの評価をうけてたでしょうか。

 

「失敗」とは期待とは違った結果になったことであって、それ自体は「進捗」なんですよね。

 

自由に思い切った活動ができるような環境がもっともっと存在してほしい、Sさんを見てそう感じたひとときでした。

 

写真はSさんとランチしたときのカレー。