最近読書量が少々減っていて久しぶりの読後感想です。
今回は友人がSNSで投稿した記事で知った「日本史の謎は地形で解ける」です。
最近NHKのブラタモリが、日本各地で地形にまつわる様々なエピソードを伝えてくれて人気番組となっています。
本書はまさにその路線に近い視点で、歴史に登場するいくつかの事象を地形にからめてその背景を解き明かそうという試みです。
全部で18の章、すなわち18個の話題で構成されています。
なぜ信長は比叡山を焼き討ちにしたのか
赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したのか
なぜ京都が都になったのか
などなど興味深い話題ばかりです。
Amazonの書評を見ると賛否両論という感じでしょうか(^^)
ただ評価が低い人達のコメントは、内容がないので正直ただのディスりにしか見えません。
歴史は今残っている資料を元に当時を「推測して」今の形になっています。
残っている資料は当時の為政者の意向を色濃く反映しており、それ自体が事実かどうか怪しいというものが少なくないようです。
なので歴史学者はいろいろな資料をあたって多方面から眺めて、過去を推測しています。
そのため新しい資料が発見されるとこれまでの歴史感がひっくり返ることはよくあることです。
先日NHKの「歴史ヒストリア」という番組で「信長の本当のキャラクター」と思われる説が紹介されていました。
信長といえば、荒々しく、破天荒で部下に厳しく、足利将軍を利用して天下を狙ったが、明智光秀に恨みをかって本能寺で暗殺された、という説が一般的です。
しかし、歴史学者が資料をあらためて考察すると、まるで違った姿が浮かんできているそうです。
性格:荒々しく破天荒、と言われていましたが実はかなり生真面目だった
野心:天下取りをめざしていた、と言われていましたが実は天下取りは一切考えておらず天下の安定を目指していた
将軍との関係:京に登るため将軍を担ぎ上げた、と言われていましたが、実は将軍が室町幕府再興の呼びかけに唯一答えたのが信長で、将軍に仕え戦国大名に和解勧告を働きかけていた
朝倉・浅井連合軍との関係:上洛命令を拒否した朝倉・浅井を成敗するため織田がしかけた、と言われていましたが、実は足利義昭の腹心にちょっかいをだしていた武将の討伐を義昭に命じられたところ、その武将が朝倉の腹心だったため対立した
比叡山焼き討ち:信長が僧兵の抵抗に頭にきて焼き討ちした、と言われていたが、朝倉・浅井が逃げ込んだためその引き渡しと中立を守るよう1年以上時間をかけて説得を試みていたこと
明智光秀の裏切り:信長からの屈辱的な対応にブチ切れた、と言われていたが、明智光秀と仲のいい長宗我部を信長が攻め入ろうとし、それを防ぐためと思われること
(信長が四国遠征に出る当日に本能寺の変が起きている)
このようにこれまでの信長像とは全く異なるイメージが、今歴史学者の間でかなり有力な説になりつつあるそうです。
したがって今我々がもっている歴史観については、「絶対正しい」と思い込むほうがおこがましく、Amazonの低い評価を出している人たちにはその奢りがみられるので、あまり参考にはなりません。
著者の竹村氏がとなえている説は、地形という視点からみた解釈で、私はとても興味深い説だと思います。
京都が本州で太平洋と日本海を結ぶもっとも狭いところにあったからこそ首都として栄えたという説や、情報・交通の要所が発展していく説、赤穂浪士の討ち入りは幕府が実は黙認していたという説、奈良がなぜ衰退したか、などは「ほ〜」と思わせます。
一方で信長比叡山焼き討ちについては、先に述べたNHKの見解とは異なり、私は比較するとNHKの説のほうが事実に近いのではないかと感じるので、若干疑問が残ります。
また徳川家が吉良家を滅亡させたいという説、についてもちょっと腑に落ちないところはあります。
でも、それはいいんです(^^)
歴史は「解釈」でもあり、どれだけ多様な視点で想像力を働かせるかが史実に近づく鍵だと思いますので、「あれ?」と思えるような説でもどんどん主張していいと思います。
サミュエル・ハンチントンが著した「文明の衝突」で日本文明が取り上げられています。
太古に発生し今にまだその姿を残している数少ない文明の一つだそうです。
なぜ残ったのか。
島国で大陸から直接攻められるリスクが低かったことは大きいのですが、日本列島の地形そのものも大きく影響していることでしょう。
なので、これまでの歴史で地形が与えた影響は計り知れないと捉えるほうが自然な気がして、このような本はとても興味深いものです。