久しぶりに読書会課題図書以外の書籍です。
大乗仏教―ブッダの教えはどこへ向かうのか (NHK出版新書 572)
先日読書会で「イスラム教」について学ぶきっかけがありました。
せっかくだから世界三大宗教をこの機会にかじろう、とおもって仏教とキリスト教の入門書のような本をまず1冊ずつ購入。
これはその1冊です。
仏教には多くの宗派がありますが、本書はタイトルにあるように日本に大きな影響を与えた大乗仏教についてまとめられています。
仏教は釈迦が教祖でインドが起源となり、修行をしたものが救われるという路線はそのままだけど形をかえて「上座部仏教」としてスリランカ、タイなどで普及している一方、遅れること500年ほどあとになって、一般の人も救われるという路線に変わって中国から朝鮮、日本と伝わってきた「大乗仏教」が存在します。
その他チベット仏教含めた密教系も含めた3つの流れが主流のようですね。
日本に輸入されてからは、聖徳太子、最澄、空海といったスーパーインフルエンサーによって日本の価値観に大きな影響を与えることになります。
鎌倉時代に、臨済宗・曹洞宗といった禅宗、浄土宗・浄土真宗といった浄土教、法華経を中心に立てた日蓮宗など多くの宗派が生まれ、今に至ります。
まあ、こういった流れくらいはネットで調べればいくらでもでてきます(^^)
大乗仏教は仏教じゃない?
この本、のっけから掴まされます(笑)
大乗仏教で使われてきた経典、教えは実は釈迦が説いた教えとは異なるんだそうです。
先にも書きましたが、釈迦は「救われるためには自らが修行をし悟りを開くことで救われる」と説いているのに対し、大乗仏教は「普通の人が善行をすれば救われる」という考えなんです。
このことを知っただけでもこの本を読んだ意味はありました(^^)
教養がないというか無知というか・・・
知りませんでした(^^;;
仏教が広まったのはインドのアショーカ王の時代らしいです。
当時インドではヒンドゥー教の前進であるバラモン教が主流だったのですが、アショーカ王が仏教に帰依したことをきっかけに普及が進んだそうです。
その鍵が「多様性」。
すなわちこの時すでに環境に合わせてちょっとずつ異なる宗派が存在して、それをよしとしたことが普及の要因ではないかと著者は考察していました。
キリスト教でもカトリック、プロテスタント、ギリシャ正教、東方教会などいくつか流れはあります。
ただキリスト教の場合は、議会、東西教会分裂、宗教革命がきっかけになっているし、イスラム教はムハンマドの後継者争いによって分裂した、といずれもまあまあ明確な理由があります。
しかし仏教はそんなはっきりしたものがなさそうです。
よくいえば環境に適応し、悪く言えば都合よく分派してきたようですね。
しかも約1,500年前に作られた大乗仏教の本義と言われていた仏教哲学書が、実は中国に渡った後に中国人によって過去文献を寄せ集めたものだったことを、2017年には日本の仏教学者が証明して大騒ぎになっているそうです(^^)
いってみれば、ちゃんとした文献だと思っていたら「NEVERまとめ」みたいなもんだった、という話。
この証明は、仏教界のフェルマーの定理みたいなもので長年仏教界では謎の一つだったそうですね。
ということで、我々が「仏教」と思ってみてきたものはほとんど、お釈迦様の意向とは全く別の宗教のようです(^^)
政治利用される宗教
キリスト教もイスラム教も古来政治との関係は密接で、当時の為政者は多いに宗教を利用してきました。
それどころか今でも政教合同の国は多くあります。
移民国家で多様性を受け入れるアメリカ合衆国でさえも大統領就任式では聖書に手をおきます。
日本でも聖徳太子の時代に、神道を司っていた物部氏に対抗する蘇我氏が仏教をかつぎ、聖徳太子と一緒に権力闘争を勝ち抜きました。
東大寺の奈良の大仏も、当時は「華厳経」といって中央集権国家体制を引くに都合のいい世界観をもっていたかららしい。
信長が仏教を弾圧したときも禅宗はお咎めがなかったのは、武士に広く広まっていたことも理由と考えられる。
日本では神道と仏教が融合するというこれも”環境適応”する形で独特の進化をみせてきましたが、明治時代になり時の為政者は「神道(すなわち天皇)を中心に国家をまとめる」といって神道と仏教の分離を図り、かつ廃仏毀釈運動で1,100年以上続いた「仏教に対する国家のバックアップ」という体制を壊しました。
著者によると、ここから日本の仏教はまた変わっていったとみています。
本来の仏教の教えに反した行動が目立ち始めたのはこのころからだそうです。
宗教のありかたがかわってくる
昔は病気、戦争などで死ぬということがもっと身近で頻繁にあったことでしょう。
死んだ後はどうなるのか、そんな不安がでてくることはとても自然なこと。
「死んだ後も大丈夫だよ」そう言ってくれる人がいたら、それはとても救われる気持ちになるかと思います。
天国にいける
神に会える
成仏できる
新しく生まれ変わる
誰も経験したことのない死。
襲ってくるなんと言えない不安。
でも死んだ後でも幸せになれるんだ、という拠り所が見つかるとその不安から自分が救われ、幸せだと思って死んでいく。
人の生き方としてそれは素敵なことだと思います。
一方でそれを逆手に取って戦争や戦いに利用する為政者がいることは残念。。。
著者はこれからの宗教の姿にもご自身の見解を述べられています。
今の日本では平均寿命が大きく伸びたこともあり「明日死ぬかもしれない」という不安を抱かずに済む人は少なくないと思われます。
「ポジティブシンキング」も「救われる」という観点では宗教と同じ役割を担っているのかもしれません。
松岡修造さんの「元気がでる日めくりカレンダー」で救われている人もいるでしょう(^^)
メンタルトレーニング、メンタルマネージメント、こういった言葉が聞こえるようになってきたのも流れでしょうか。
自分が何を信じるか、というより、何を拠り所にできるか、それがこれからの生き方で大きな影響を与える要素なんだと、まずは自分自身に投げかけてみよう(^^)
大乗仏教―ブッダの教えはどこへ向かうのか (NHK出版新書 572)
表面的ででもこうやって宗教について紹介してくれる本は、私自身の視点、視座を拡げる上でとてもありがたいです(^^)