48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

読書会〜歴史学者という病

 

今回の課題図書はこちら。

 

著者の本郷和人氏は、メディアによくでているので「あ〜、この人か」とご存じの方も少なくないと思います。

 

今は東京大学史料編纂所教授です。

 

本書でも紹介されていましたが、勤務先の東京大学史料編纂所の所長は奥様の本郷恵子氏で、著者にとっては上司でもあるそうです(^^)

 

本書はちょっとした著者の自伝的な要素があるのですが、これが返って本書を理解しやすくしてくれるいいエッセンスになっています。

 

どういう経緯で歴史に興味をもったのか。

 

そして著者が若かった頃の歴史はどういうものだったのか。

 

そして歴史学に道を決めた後に知ることとなったこれまでの歴史学の流れ。

 

先輩たちとの意見のぶつかりや抵抗。

 

そして今純粋に歴史ってとても魅力ある学問であることを改めて実感し、その普及に腐心する著者。

 

 

 

 

歴史といえば。私は学生の頃社会の選択科目で、優先順位は地理、世界史、日本史の順でした。そう日本史が一番苦手だったんです。まぁ世界史も似たりよったりで、たまたまちょっと先生が面白かっただけで、本質的には歴史はとても苦手でした。

 

なぜなら「覚えなければいけなかった」から。

 

興味ないことを暗記するほど苦痛なものはない。しかもテストだからとか、受験だからとか、そんな自分とは違う意思が働けばなおさらです。思えば学生時代から自分本位の性格だったらしい(笑)

 

でも著者はいう。「歴史は”覚える”学問ではない!”考える”学問だ」と。

 

 

 

以前にもこのブログで紹介しましたが、過去に当たり前だった歴史認識がくつがえることが近年よく耳にします。

 

縄文時代は狩猟生活で放浪生活だったが、弥生時代になって農業を通じて定住が始まった、というのが私の子供の頃定説ですが、今は縄文時代から稲作があったことが明らかになっていますし、定住も縄文時代からあったことがわかっています。

 

これらは新しい遺跡の発見から。

 

明治維新の前に薩摩と長州が坂本龍馬を仲人として手を結んだと言われていますが、これもどうも違うらしいという学説がでてきています。薩摩と長州が手を握ったその場には坂本龍馬はいなかったことが新しい資料の発見や、資料の読み込みによってあぶりだされてきたそうです。

 

歴史って変わるのか?半分イエスで、半分ノーですね(^^)

 

半分イエス、というのは、昔教わったことが今でも正しいとは限らない、ということで、我々の視点でいえば「歴史は変わった」と言えるかもしれません。

 

しかし、我々が教わった”歴史”の「史実」は、歴史学者の間で、「こうこうこういう資料を”正しいと仮定すれば”これこれだろう」みたいに、「もし〜ならば」という前提があって成立している話なんですね。

 

だから「新しい資料が発見されて、今まで正しいと思われていた資料は事実ではなかったらしい」とか「資料を読み込んでいくと今までと違う解釈が可能になり、それを別の資料が裏付けている」みたいなことがあると、前提が崩れちゃうわけです。

 

私が子供の頃にテストにもでた「聖徳太子像」「源頼朝像」「足利尊氏像」はすべて「違う人物」と言われているのが今の定説です(^^)

 

「史料にこう書いてあるから」だけでは証拠にはなりません。

 

その史料が嘘を書いている恐れもありますしね(^^)

 

特に、時の権力者が編纂を命じた史料、為政者に従っていた人物による日記などは、時の権力者に都合がいいように編集させちゃうことができますから。

 

 

 

本書で紹介されていたこれまでの歴史の流れも、わかりやすい。

 

昭和の時代は皇国史観が圧倒的に主流だったといいます。すなわち「日本は天皇を神とし成り立っている国」というのが基本軸なので、歴史の主人公は天皇や時の為政者たちであり、当時暮らしていた庶民は「豚当然」の扱いなんです。(そういう発言を平気でしていた大物歴史学者も写真名前付きで登場します(^^))

 

その後、マルクス主義史観、社会史「四人組」、現代と合わせて大きく4つのステージがあるそうですが、詳細は著者の言葉で読まれたほうが遥かにつたわると思うので、本書に委ねます(^^)

 

 

 

 

私は社会人になってから日本史に興味をもちました。それは覚えるのではなく、なにかストーリーを感じるようになったからです。信長、秀吉、家康がそれぞれ桶狭間で勝った年とか、太閤検地をやった年とか、江戸時代の15人の将軍の名前とか、そういう”覚える”歴史ではなく、信長はなんで光秀に襲われたのか、秀吉は柴田勝家になぜ勝てたのか、とか家康の家来はどうして家康を親分として立て続けたのか、そんな背景に興味を持つようになったからかもしれません。

 

本郷氏も歴史の”ストーリー”が好きだったそうです。

 

でも”歴史学”ではそのストーリー好きは無用なんだとか。科学的な視点で「何が正しいに近いのか」という立証が大事なんだとか。

 

なので、私は歴史学者にはなれませんが、新しいことがわかっていく歴史はとても興味があります。

 

恐竜なんかもその一つですね。温暖化によって氷の下にあった遺跡が発見されやすくなってきているでしょうから、これから新しい発見がたくさん出てきそうです。

 

とりとめもない文章になっちゃいましたが、私はとても楽しく読むことができました。これからメディアに出てこられたときはちょっと注目してみてみようと思います(^^)