先日在宅勤務しているときにたまたまNHK BSを流していたら「340年ぶりの和解」という気になるタイトルが。
番組の内容は、仕事しながら流していたため実はほとんどわかっていません^^;;
ただ、西本願寺派の顕証寺の住職が公の場で東本願寺派の慧光寺(えこうじ)に「340年前のふるまいを謝罪する」として頭を下げ、「顕証寺には近づくな」と代々言い伝えられてきた慧光寺住職が顕証寺住職の手を取り受け入れたというところは観てしまいました。
340年も対立関係にあった両者が手を取るに至るには、多くの葛藤や障壁があったことは想像に難くありません。
番組の内容は把握できておりませんが、この対立していた宗教団体同士が手を取り合うことになったということはとても喜ばしいことだと感じました。
東本願寺派は親鸞を祖とする浄土真宗の一派である真宗大谷派、西本願寺派は同じく浄土真宗の一派である浄土真宗本願寺派と言われています。
なぜ本願寺が東西に分かれたのか、こちらの記事がとても詳しく解説してくれています。
簡単に言えば、織田信長を苦しめた本願寺のトップ顕如の長男と三男の確執です。長男側が東本願寺、三男側が西本願寺となります。
単に主義主張が異なる、だけならいいのですが、「対立」してしまい争いの種になることが問題です。
ただ今回題材となった浄土真宗は、家康が東本願寺を認めてしまったことで本願寺が東西に別れ江戸時代中期までは対立が続いて勢力が弱まった(家康の目論見通り)のですが、その後関係が改善されて今は浄土真宗の10派で真宗教団連合を組織していて交流もあるようです。
この真宗教団連合で浄土真宗の99%以上の門徒さんが帰属していることから、浄土真宗の中での宗派対立は少ないかもしれません。
世界には、世界宗教と呼ばれるキリスト教、イスラム教、仏教を始め、ユダヤ教、神道のように特定民族に帰属する宗教、地域特有の宗教など様々です。
人類が社会を形成して反映する上で宗教は大発明であったことは、ハラリ氏のサピエンス全史で触れられています。
一方で対立の種にもなっていて、同じ宗教でも異なる宗派で対立を生むことも少なくありません。
キリスト教でいえば、カトリック、プロテスタント、正教会など、イスラム教でいえばスンニ派とシーア派、仏教でいえば日本国内で細かく分かれた宗派などなど。
本願寺が東西に分かれて対立したのは時の為政者である徳川家康の目論見だったと言われていますが、時の為政者や権力者によって分派されたケースは世界の宗教でもみられます。
キリスト教で東西に分かれたのはローマ帝国の東西分裂、イングランド国教会は王ヘンリー8世の離婚、イスラム教のスンニ派とシーア派分裂はムハンマドの後継者争いがそれぞれきっかけです。
有名なのは神道を司る物部氏と仏教導入で勢力拡大をはかる蘇我氏の対立があった飛鳥時代。聖徳太子、推古天皇の時代です。
(ちなみに推古天皇は蘇我稲目の孫で、以降皇族の女系には蘇我氏の血縁が色濃く反映されていきます)
1536年には天文法華の乱で延暦寺と日蓮宗が争い、破れた日蓮宗の21の寺が炎上して3,000人も殺害されたそうです。
江戸幕府が倒れて明治になった時は、天皇=神道の影響力を大きくするために廃仏毀釈が行われ多くの仏教関係建築物が政府主導で破壊されています。イスラム教過激派が仏教史跡を破壊したことと同じことが日本でも行われていました。
争いの根源にあるのは、政治的な利用、権力の維持が大半で本来の信仰とは別のところにあることが多い気がします。
宗教革命で生まれたプロテスタントは、そういう視点ではある意味異質かもしれません。
今日本でも宗教に絡んだ話でもちきりです。
問題視されているのは、結局は「お金」で献金絡み、霊感商法で、本来の信仰とはかけ離れた活動です。
権力欲、物欲を満たすための道具として宗教が利用されると、人のエゴが絡むから争いや問題の種になりがち。
まとまりもなくつらつらと書いてきましたが、宗教を純粋に信仰として、「あなたはそれを信じてるんですね。それは結構(^^)私はこちらを信じています」とお互いを認め合えるようになったらなぁ、と願うのは非現実的なのだろうか。。。
何かを信じることは心の支えとしてとても大切なことだけど、「受け入れる」ということも同じくらい大切なことだと近年つとに感じています。簡単じゃないけど・・・
(データ:各資料から収集。2020年近辺のデータ)