今回は「応仁の乱」で著名な呉座勇一氏著作の「一揆の原理」でした。
「応仁の乱」はあの難解な戦乱を、畠山家の権力争い、細川または山名いずれかの立場に立つことでわかりやすく解説してくれました。
さてさて、”一揆”をわざわざテーマに選ぶとは・・・
でもでも・・・”一揆”を研究しているグループがあるそうな!
何をそんなに研究することあるのだろう、なんて思ったのですが、 いやいや・・・
”一揆”のイメージが大きく変わりました。
”一揆”ってどんなイメージでしょうか。
重い年貢に怒った農民が鍬や竹槍をもって武装し、庄屋や豪農を襲って米などを強奪したり、破壊したりすること
これが私が漠然と持っていたイメージです。
ところがこの本によると全然違うそうです(^^)
”重い年貢に怒った”:決して一揆の理由は”年貢”に限らないし、”怒って”るとも限らない。
”農民”:実は農民だけではなく、一向一揆の僧兵も有名だが、実は武士同士で一揆をすることもあるんだって!
”鍬や竹槍をもって武装”:武装しているとは限らないそうです。それに竹槍を使った時代は実はほんの10年くらいだったそう。。。
”庄屋や豪農を襲って・・・”:もちろん襲うこともあったのですが、実は”交渉”そのものが”一揆”の行動であって、襲うことは手段の一つにしか過ぎなかった。。。
こんな風に私が思っていた”一揆”って全然違っていたことが判明(^^)
しかも”一揆”とは実は「コミュニケーション」であって、首謀者がわからないように全体責任という性格をもたせていました。
著者は、現代のSNSによるコミュニケーションと相通じるところがある、という見解を本書で展開していました。
その説に賛同するかどうかは読者の方々の見解にお任せしていいかと思いますが、この本の面白いところは、著者が恐れずに批判意見や反対意見を堂々と述べているところ。
同業の研究者も実名を出して「〜はこういう説をとなえているが、私は・・・という理由でそれは違うと思う」とはっきり書いているのである。
この潔さがとても心地よく、”一揆”という歴史の中でも地味と思われるテーマなのですが、ちょっと野次馬的に「そうかなぁ〜」なんて思いながら読むことができ、結構楽しむことができました。
帯にかかれている本文を抜粋します。
”現実の一揆は常に権力と闘っていたわけではない。冷たい言い方をすれば、前近代の一揆が「階級闘争」であるという主張は、事実に基づくものではなく、戦後の日本史研究者の願望によるものである。つまり、そう信じたかった、というだけの話なのである。本当は、暴動や革命より、むしろ「人のつながり」の一つのパターンと見た方が、一揆の実態に近いのだ。(中略)人々の連帯にこそ目を向けようというのが、私のスタンスである。”
今までの常識感覚をとりあえずぶっ壊すことが一つできたような気がします(^^)