羽賀翔一氏が漫画にして出版してブレークしたのは今から3年前の2017年。
吉野源三郎氏のオリジナルは1937年に出版されています。
岩波文庫として1982年に文庫化され現在にいたっているそうです。
まあ、ある意味ブームが去ってなぜいまさらこの本、ですよね。
理由は特にありません。
たまたま読書会の課題図書で読んだ「世界の辺境とハードボイルド室町時代」を読んで、またちょっと読書をしてみようという気持ちが出てきたのが大きなきっかけです。
そして何か本がないかなぁ、とMBAシェアハウスにある書庫を眺めていてふと目についたのがこれ。
3年前のブームのときも読んでいなかったんですね(笑)
ということで軽い気持ちでふと手にしてみました。
今は読書モードが開いているせいか、どんどんページをめくって比較的早く読み終えることができました。
旧制中学2年生のコペル君こと本田潤一が主人公。
コペル君の日常に起こる出来事に対して、母方の叔父がコペル君へのメッセージをノートにまとめます。
本書は、コペル君の日常を描くライトノベル的な要素と、叔父のまとめたノートによる人生訓という2つの要素で構成されています。
あらすじは控えますが、岩波文庫の本には、著者の吉野源三郎氏が寄稿したあとがきが掲載されています。
これによると、本書は元々「少年のための倫理の本」として書かれたのだそうです。
太平洋戦争が近づいてきた昭和10年前後、軍国主義に向かっていた日本では言論統制も始まり自由にものを言えなくなりつつあったようです。
そこでせめて子どもたちを時制の悪い影響から守りたいということで、それを憂いた山本有三が「日本少国民文庫」を構想します。
その中で「君たちはどう生きるか」の部分を目の悪くなった山本有三にかわり代筆したのが吉野源三郎氏だったんだそう。
当時の山本有三が子どもたちに伝えたかったのは
偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた自由で豊かな文化が存在すること
だったそうです。
同時の社会情勢の中における自由主義というものが、今の世代の人たちが感じる”自由”とはちょっと趣が異なるかもしれません。
教養主義の絶頂期にあった旧制中学の学生に向けた教養論と評価する人もいれば、「この本を読むとバカになる」と批判している人もいるようです。
一方で日本政治学者の丸山眞男は本書にも「まえがき」として寄稿しており、高い評価をしています。
賛否両論あるのは健全なことであり、それだけでもこの本の存在意義があると思いますが、叔父のまとめたノートの内容は、「人というものは」というテーマに正面から向き合っているように私には感じました。
「貧乏な暮らしをしていれば、何かにつけて引け目を感じるというのは、免れがたい人情なんだ」
この叔父のコメントは貧富が存在、共存する社会では、とてもありえる情景であり、まさに「人情」を表しているなぁ、と感じます。
それにしても自分がコペル君の年代だったとき、彼ほど真剣にものを考えたり、人の声に耳を傾けたり、家族を意識したりしていなかったなぁ、と赤面の至りです。
きっと15歳前後でこれを読んでも、ふ〜ん、で終わっていたかもしれません。
今の自分だからこそやっと受け止められるようになったのかな、とお恥ずかしながら感じます。
価値観を押し付ける「倫理・道徳」の本としてではなく、人情、社会科学といったものを感じる本として読んでみると、なかなか味わえる本だと思います(^^)
すべての人に当てはまるというわけではなく、どんな人なんだろうと相手を観察するときの視点が増えるんじゃないかな。