今回の課題図書はこちら。
題名から「エスキモーに氷を売る」のようなマーケティング的な本を想定させられますが、内容や視点がどちらかというエッセイのほうが近い感覚かもしれません。
茨城県のレンコン農家に生まれた著者は、民俗学で博士号を取得したが、実家のレンコン農業を活性化するための奮闘記、そんな感じです。
なので、何か高価格帯の事業をやりたいと思っている方々には、ちょっと期待はずれになる恐れがあります(笑)
(本書でも著者がそんなことを言っていました)
とはいいつつも、「なぜレンコンに1本5,000円をつけてまで売りたい」のか、とか「レンコンの価格をそこまで引き上げるためにどんなステップを踏んで、どんな寄り道をして、どんな失敗をして、どんな苦労をしてきたのか、ということを比較的赤裸々に書いているので、課題克服を考えている人たちにとってみると、いろいろと感じることができるのではないか、と思います。
同じ材料を使って作ったバッグでもノーブランドなら1万円程度なものが、エルメスになると300万円にもなってしまう世界。
なぜそんな高い値段が成立するのか、といったところから考察が始まり、「ブランド力だ!」と方向を定めてひたすら認知度をあげるために、メディアに出まくる著者(^^)
とにかく行動しまくる著者ですが、肝心のご家族とは衝突しまくります。
保守的で卑屈に見えた父親が、実は画期的な生産方法を編み出したイノベーターだったことに気づいたり、ヒューマンドラマ的な要素もあります。
でもそんな家族ドラマ的な要素ばかりではなく、経営的な視点でいい見方をみせてもくれています。
生産性向上、効率化がかならずしも富をうむわけではない、という視点。
市場全体の需給バランスを俯瞰する視座が必要だというところは、一昔前の経営者たちに物言いたい気持ちにさせてくれます。
生産性向上、効率化がもたらす結果は「単位時間あたりの生産量の増加」なんです。
1時間あたり、1日あたり、1年あたりと時間の単位はなんでもいいのですが、働く時間が変わらなければ生産量が増えることになります。
これは「生産側の論理」なんですね。
生産したものを今度は「消費」する側がそれに伴って消費量を増やしてくれれば、これは市場が広がることになり、双方ハッピーで市場としては成功です。
しかし、消費量が変わらなければ、生産量が増えた分「供給過剰」になるわけです。
「供給過剰」は「単価の下落」を生みます。
市場規模が変わらなければ、量が増えれば価格は下がるのは自然の摂理。
結局お金を投資して生産性を揚げても、効率をあげても、単価が下がってしまうので総収入をあげることはできないんです。
すなわち投資した分だけ負担が増えるということ。
これで誰が喜ぶのか、というと、意味のない投資をしかけた「投資家」なんです。
金額ベースで新しい市場を作る、市場を拡大する、ということでもない限り、投資家以外は仕事量が増えるだけ。
まさに資本主義のからくりがここにあったりします。
文面からやんちゃな雰囲気を醸し出す著者ですが、本の前半ではそれこそいろいろな活動をしてきたことをエピソード交え面白おかしく語っている一方、後半ではそういう活動を通じて感じたであろう経営的な視点や、携わっている人たちのこれまでの活動の積み重ねがもつ重い意味など、定性的かつ俯瞰した見識をみせてくれています。
- 消費者ニーズにとらわれすぎない
- マーケットインにまどわされない
- 分業化と闘う
- 商品力にまさる営業力はない
- 既存の認証に頼らない
- 嫌われることを恐れない、そして妬まない
- 守るためにこそ変わらなければならない
後半の見出しです。
どれも私が普段意識していることと共感することばかりでした。
同じようなことを感じている人がいるんだな、と自分自身ちょっと勇気づけられた気もします(^^)