今回のウォーキングは、沼津宿から原宿への約7kmの行程です。
このような記念碑が道路にありました。
沼津駅前から南に伸びる剣道160号線を南下すると、本陣跡がいくつもあります。
本陣跡、といってもこのように記念碑が歩道に立てられているので、ちょっと気をつけて歩かないと気が付かずに通り過ぎてしまいます。
こちらは間宮本陣跡。
そしてこちらは清水本陣跡になります。
他にも近くには高田本陣跡や、中村脇本陣跡などもありました。
数分歩くと永代橋通りとの交差点にぶつかりますので右折して北西に向かいます。
ガイドでは途中「西見付跡」があるということでしたが、見つけられず・・・
この碑は、南へ程なく行ったところに「六代松碑」があることを示したもの。
六代とは平維盛の遺児のことで、源平合戦後頼朝の助命により命をとられず仏門に入ったのですが、頼朝が没すると後ろ盾がいなくなり謀反の嫌疑をかけられ斬首されたそうです。
家康が豊臣を滅ぼしたように、北条も災いの元を断つ、ということで平家を滅ぼそうとしたのかもしれません。
永代橋通りは県道163号線なのですが、新中川を渡る間門橋(まかどばし、と読みます)を渡って、沼津に至るまでずっと歩いてきた県道380号線と合流します。
この写真の左が380号線、右が163号線。
東海道は引き続き163号線を進むことになります。
沼津藩領境榜示。
1778年に沼津藩主水野出羽守只友が沼津藩領の西境に設置したものらしいです。
松長の一里塚跡。
こんな感じで民家に隠れるようにたっている標石(^^)
大諏訪の一里塚ともいうらしいです。
そういえば、このあたりは西側が「大諏訪」東側が「小諏訪」という地名です。小諏訪に諏訪神社があるので、それが由来しているのかと想像して帰宅後調べてみたのですが、これがわからない^^;;
まず読み方。「大諏訪」は「おおずわ」、「小諏訪」は「こずわ」と濁るんですね。
しかもこれらは江戸時代からある村の名前だったようで、大諏訪村は幕府領、小諏訪村は相模小田原藩領だったそうです。
明治22年に町村制の施行によって、これらが他の村と一緒になり片浜村が発足し、昭和19年に沼津市に編入されたそうです。
由来が気になってしまう・・・
白隠禅師誕生地碑があるところ。
白隠禅師はここ原の出身で、曹洞宗・黄檗宗と比較して衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われたそうです。(出典:Wikipedia)
小さな標石を発見。
そして東海道本線の原駅に到着。
駅周辺はなにやら工事中で殺風景ではありますが、このあたりを原宿とします。
原宿は小さい宿だったけど、富士山が近くに見えるということで人気のある宿だったそうです。
このように海岸線にそってほぼ一直線の行程でした。
次回は吉原宿です。