今回のウォーキングは、岡崎宿から知立宿まで。
前回岡崎宿の二十七曲りをご紹介しましたので、二十七曲り以降の行程をご紹介します。
前回渡った橋からかなり歩いて国道1号線沿いに出て、尾崎東というY字路の手前あたりで安城市に入ります。ここで岡崎市とはお別れです。
尾崎東のY字路を右手に入るとすぐに松並木になります。
田園風景が広がる東海道(^^)
東高根用水紀念碑。
尾崎の一里塚跡です。
永安寺。村の窮状を訴えて人馬の提供を免除してもらうよう嘆願した柴田助太夫は、領主に死罪を言い渡され刑死します。しかしその免除は通り、以降幕末までその免除が続いたそうです。村の人々は助太夫に感謝し、その菩提を弔っているそうです。この正面にある松は境内を覆うように横長に広がっていますが、樹齢300年くらいになるそうです。
明治用水碑。不毛の地だったこの一帯に用水が完成したのは明治14年。現在用水は暗渠(あんきょ)となっているそうです。
明治川神社の鳥居。文字通り明治18年に建立。
そして再び松並木。東海道といえば松並木、というイメージがかなり定着してきました。
無量寿寺道標。1696年建立の道標が対となってここより北700メートルのところにあるそうです。
来迎寺一里塚跡。こんもりと盛り上がっていますね。ここはかなりしっかりした塚が残されていて道路両脇に存在しています。
そしてまた松並木。
1696年建立の無量寿寺道標。先程の道標とは、ちょっとだけ刻印が異なります。
池鯉鮒碑。現在の「知立」は元々「池鯉鮒」と書かれていたらしい。これで「ちりゅう」と読みます。
このあたり公園となっていてこのような像がたくさん展示されています。
このあたりの東海道の解説板。
像がたくさん展示されている公園。松並木沿いです。
知立を描いた広重の絵。このあたりは「馬市」が江戸時代にひらかれていたらしく、広重の絵もその様子を描いています。
池鯉鮒宿碑。この左側の細い方を直進します。右側にある国道1号線とここで離れます。
中町の五叉路。正面にある斜めの道を進みます。このあたりは現在の知立の駅があり、にぎやかです。
今は紀念碑だけになった問屋場跡。
現在は菓子屋都筑屋ですが、元々は旅籠屋柳屋跡で向かいに本町公園がありそこは脇本陣跡になります。
そして、池鯉鮒宿本陣跡に到着しました。
岡崎の二十七曲りを出てから約12キロメートルでした。