48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

東海道五十三次ウォーキング 鳴海宿〜宮宿

今回のウォーキングは鳴海宿から宮宿です。

 

いや〜天気がいい。鳴海宿本陣跡をすぎるとすぐにこの信号のT字路になっていて、ここを右に曲ります。

 

街並みは有松を思い起こさせるような古い建物がちょくちょく目に付きます。

 

しばらくすると住宅街になり歩道がこのように独立している道になります。ウォーキングにはこれはありがたい。

 

この表札の奥に鉾ノ木(ほこのき)貝塚があります。縄文時代早期から前期にかけての貝塚らしい。ということはこの近くが海だった、ということなんですね。

 

ちなみに縄文時代は紀元前14000年前から紀元前10世紀(1000年)くらいまでの13000年の期間です。今が紀元後2000年ほどなので、今から16000年前から3000年前くらいまでをいいます。

 

13000年も同じような時代が続いていたんですね。

 

知多郡道道標。この先は知多半島へ向かいます。

 

笠寺一里塚。日本橋から88番目です。

 

笠覆寺(りゅうふくじ)。寺が荒廃し雨ざらしになっていた観音像に笠をかけた心優しい娘を藤原兼平(日本初の関白となった藤原基経の子)が妻として迎え入れ玉照姫とよばれたそうです。1549年織田家の人質(徳川家康)と今川家の人質(信長の兄織田信広)の人質交換が行われた場所としても有名です。

 

笠覆寺の西門のところを左折します。

 

水稲荷神社の鳥居。長楽寺の鎮守社らしいです。お寺を神社が守る、って神仏合体の日本らしいですね。2つの宗教が融合しています。

 

熊野三社入口。山崎城の守護神だったのですが廃城になったあとは山崎村の鎮守になったのだとか。

 

山崎橋。橋を渡って左へ曲ります。

 

名古屋高速3号線をくぐります。

 

国道1号線の側道側へいきます。

 

東海道線の踏切にある地蔵堂。地蔵立像と不動明王立像が祀られています。

 

正面に見える喫茶店の左側を行く道が東海道です。

 

いよいよ宮宿の近くにやってきました。

 

”おそらく”伝馬町の一里塚。標識が見当たらなかったのですが、風貌といいガイドにしめされた位置関係といい、たぶんそうだと思います(^^)

 

裁断橋跡。小田原攻めの陣中で病死した息子への思いが断ち切れなかった母親が菩提を弔うために架けた橋だそうです。ただ33回忌で再び架替をしようとしたが果たせず母親も亡くなり、養子がそれをついで架替を完成させたんだそうです。

 

姥堂と都々逸発祥の地の記念碑。

 

東海道としてはここをまっすぐ突っ切りたいのですが、現代の道路に阻まれてしまって迂回をしなくてはなりません^^;;

 

突き当りを左折します。

 

先のT字路の角にあった熱田の追分道標。

 

国道247号線をこの歩道橋で渡ります。

 

宮宿の赤本陣跡に到着です。

 

約8キロメートルの行程でした。