全宿の4分の1を過ぎて第2ラウンドは、吉原宿から蒲原宿です。
この工程は12kmと長く、しかもいろいろとチェックポイントも多かったので2回にわけてお送りします。
線路を越えて直進すると、そこはそれなりに発達している商店街で、その商店街沿いに史跡がたくさんある、というガイドの表示なんですが、どこにもそれらしきものが見当たらない。
どっかになにかあるだろう。小さい石碑でも立っているんじゃないかと視線を下に向けたらこんなのがありました。
これは本陣跡を示していて、なんと道路にはっついていました。
こんな感じで商店街のお店の前の歩道に埋め込まれているんです。
姉川一夢屋敷跡。ガイドには載っていないものでした。
こちらも別の本陣跡。この商店街には本陣跡がたくさんあり、すなわち当時賑わっていたことを表すものでもあります。
ガイドには丁寧に「現在は○○商店」のように現在の店舗名が書かれていたのですが、カメラ屋さんやパチンコ店などの名前が見つからず、おそらく廃業したと思われます。
本はコロナの前の2019年発行なので、もしかしたらコロナの影響かもしれませんね。
1686年創業という鯛屋旅館。
ほどなくして商店街から離れます。この目印を左折。
妙祥寺題目碑。これをみたら右折します。
吉原宿の西の出入り口である西木戸をすぎると国道139号線にでます。
ですが100メートルほど歩いたらすぐに脇道にでます。
こんな感じの道です。
このあたりは現在の国道1号線を始めとする主要道路とは全然違う道で、明治以降に道路網が新たに敷設されたことが想定されます。
小さな道での交差点にはこのような標識が立っていることがあり、道案内として助かります。
潤井川(うるいがわ)を渡す富安橋はこの日は工事中でしたが、江戸と京を月に三度往復した飛脚が架橋したらしく「三度橋」とも呼ばれていたそうです。
至るところにこのような道祖神が祀られています。道祖神(どうそじん)とは、「峠や辻・村境などの道端にあって悪霊や疫病などを防ぐ神」のことをいうそうで、行き交う人達の安全を祈願したものだったんでしょうね。
鶴芝の碑。1820年に建てられたものらしい。
ここから富士山を眺めると、山腹に一羽の鶴が舞うように見える部分があるため鶴芝といわれた。京の画家蘆州が鶴を描き、江戸の儒者亀田鵬齋が賛を寄せたものを、文政3年(1820)に土地の人々が碑として、間の宿本市場に建てたんだそうです。
(出典:鶴芝の碑 | 全国観光情報サイト 全国観るなび(日本観光振興協会))
これ本当は直進したいんですが、このように中央分離帯にはばまれて、なんと近くの信号まで迂回をしなくてはなりません(^^)
こちら2つのお寺がありますが、右が栄立寺(えいりゅうじ)で日蓮宗の普及の拠点だったところです。左は金正寺(きんしょうじ)で駿河の大地主松永家の菩提樹なんだそうで、旧松永邸跡でもあります。
異なる宗派の拠点が道を挟んで建立されているのもまた珍しいかと。
ここで県道396号線に合流します。ずっと、396号線の裏街道を歩いてきてようやく合流する感じです。
出発してここまで約2時間。
ひたすら歩くだけなら1時間ちょっとで来れる道のりなんですが、途中で写真とったりコンビニ寄ったりするので倍近い時間がかかっています。
ちょうどこのあたりが吉原宿と蒲原宿の中間地点。
後編では富士川をわたり、ついに富士山のふもとから、南アルプス側にはいっていきます。もうないだろうと思っていた峠に入るんですね。
では次回をお楽しみに(^^)