今回読んだのは、こちら「禁断の江戸史〜教科書に乗らない江戸の事件簿」。
「歴史はかわる」ことをいろいろな事例で紹介してくれた河合敦氏著作。
以前も同氏著作の本をご紹介させていただきましたが、一次資料を軸にしこれまで当然といわれていた事柄に疑問が見つかると、ストレートにぶつけて新しい解釈を提案してくれる歴史研究家です。
阿波踊りを踊りすぎて処罰された武士
遠山の金さんの入れ墨は桜吹雪ではなかった?
ビジネスマンが見習いたい柳沢吉保の出処進退
「藩」という言葉は江戸時代は使われていなかった
胎教の大切さを教えていた江戸時代
江戸時代に来日していた外国人もべた褒めの富士山
お金をもらって女性の髪結をすると処罰された
などなど、全部で37のエピソードが数ページずつまとめられ、ちょっとの隙間に読むことも可能な構成で、江戸時代について我々がもっているイメージから事実はかけはなれている可能性が高い、という様々なエピソードを取り上げています。
我々が学んできた歴史も、過去の歴史学者ができるだけ一次資料を中心にし、足りないところは二次資料を上手に扱って補足をしてまとめあげてきたと思われます。
一次資料は、歴史にかかわった本人による記録であり、「本人がいうのだから信憑性があるだろう」という前提で、二次資料は伝聞とか、又聞きのため、「たぶんそうだろう」と信憑性は一次資料にくらべると落ちてしまうのはやむを得ません。
でもその一次資料であっても、当時の社会情勢によって視点が偏る傾向(バイアス)もあるそうです。
たとえば明治初期に編纂されたものなどは、倒幕する大義名分が必要なので、幕府は悪者みたいな脚色がどうしてもついてしまう。
典型的な例の一つが井伊直弼でしょうね。
幕末の絶対権力者の大老で桜田門外の変で暗殺されたことは有名です。
安政の大獄などで尊王攘夷派を弾圧したことで悪評高いイメージでしたが、大老就任前の彦根藩藩主時代は藩の改革を通じて彦根藩を立て直しした功績があり、反対を押し切って日米修好通商条約を締結したときは、万が一戦争になった場合に長州や薩摩がイギリス、フランスにとっちめられたように、日本自体戦争に巻き込まれて植民地化されていた恐れもあり、この評価は分かれるところのようです。
一次資料とはいえ、当時の政治・社会体制によってかけないことがあったり、為政者の意向にそった記述をせざるをえなかったりすることは、近代の政治体制をみても容易に想定できます。
昔はわからなかったけど、新しい発見を通じて解釈がかわる、というのは、ある意味おもしろいなぁ、と(^^)
「過去は変えられない」と聞くことがありますが、歴史に関しては「過去は変わる!(^^)」と言えますね。
江戸時代は戦乱の時代に終止符が打たれた後の文化の時代でもあり、さまざまな文化が育まれたであろうから、いろいろな視点で興味深いことがたくさんあったことと思います。
これからもたくさんのエピソードが発掘されてほしい、と密かに期待(^^)