ウォーキングの次の宿は「由比(ゆい)」です。
蒲原から由比までは実はわずか4キロメートルちょっとと短いのですが、蒲原宿近辺(JRの新蒲原駅あたり)と由比宿(JR由比駅のちょっと手前)近辺に、東海道五十三次に関連する史跡がそれなりにあり、見ごたえのある宿間でした。
蒲原宿近辺です。まずは「問屋場跡」。ここは立て札のみでした。
「なまこ壁と塗り家造り」の家。江戸時代後期に商家の家でよくつかわれた構造のようです。塗り壁で土壁より薄いけど防火効果が高かったんだとか。
江戸時代の上旅籠「和泉屋」だったところ。安政の地震にも耐えたという家だそうです。
これは明治時代の建物で、「手作りのガラスと総欅の家」で元磯部家らしい。
こちらも表札のみですが、高札場跡です。
「旧五十嵐歯科医院」で国重要文化財に指定されています。これは大正時代の建物で、外観は洋館だが中身は和館という構造をしているそうです。
「志田家住宅主屋」でこれも国重要有形文化財に指定されています。志田家は味噌や醤油の醸造を営む家だったそうで、独特の構造をしているようです。
この石碑を左折します。
ちょうど宿の京都側の入口西木戸になります。私のように江戸から京都へ行く人にとっては蒲原宿の出口になります。
西木戸をでると由比宿まではこれと言ったものがあまりないんですね。この写真は蒲原駅前です。
この二股は左側に向かいます。「神沢」という分岐点です。「由比本陣公園」と矢印が向いている方が旧東海道になります。
一里塚跡。ぽつんと佇んでいます。
突然のクランク(笑)ブラタモリなら何かしら地形にまつわるトリビアを紹介してくれるでしょうけど、東枡形跡とよばれ、東木戸に相当します。
万が一の攻撃への対応が目的でしたが、東木戸と西木戸のあたりにこのようなくびれた道にしたらしい。ここから先が由比宿に相当します。
御七里役所跡。現在は学校のようなものが立っています。紀州藩が七里ごとの宿場に役所を儲けていたらしい。
こちら由比本陣公園。由比本陣跡になるそうです。今川義元の家臣であった由比家の子孫が代々勤めたようです。
ここが由比宿のゴールになりますが、この公園の周りには他にも史跡があります。
正雪紺屋。江戸時代初期の染物屋。江戸幕府の転覆をはかった慶安事件の首謀者である由比正雪の生家だそうです。
脇本陣温飩屋。由比宿にあった脇本陣は3軒あり、幕末までつとめたのがこちらの温飩屋になるんだそうです。
馬の水呑場。大名行列で連れてきた馬に水を飲ませたところらしい。当時は60センチも深さがあったんだとか。
このように距離はわずか4キロメートルほどですが、それぞれの宿に史跡が多くあるので、かなり写真とるのに時間かかりました^^;;
こちらが今回の行程。
次回は興津宿までまいります。