48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

東海道五十三次ウォーキング 日坂宿〜掛川宿

今回は日坂宿から掛川宿です。

 

萬屋跡。江戸時代の庶民向け旅籠だったところ。このようにこの時は夕暮れになっていて、次の掛川宿に日没前に到着できるかかなり不安だったところ^^;;

 

日坂宿の高札場。結構しっかりした形で残されています。高札場は、幕府や藩の定めた法令や禁令を板墨書きした高札を掲げている場所のことを言います。

 

下木戸跡。日坂宿の京都側の入口にあたります。

 

書家成瀬大域出生の地。書家・成瀬大域(成瀬温)は文政10年(1827)古宮のこの地で生まれ、42才の時上京、安井息軒の門に入って書を修めたといいます。王義之の聖教序を臨書するとともに諸葛孔明の出師表を楷書と草書に書き、併せて明治天皇に献上した時に、 天皇よりお褒めの言葉とともに楠木正成愛用と伝わる古い硯を賜ったとか。
 このことから庵と自らを 「賜硯堂」 と称したといいます。

 

県道415号線にでて、事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)が見えます。東海道沿いにあって、難所であった小夜の中山の西側の麓にあたることや、「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つことから、多くの人が旅の安全や願い事成就を祈るため立ち寄り、また江戸幕府も朱印高百石余りを献上するなど崇敬を集めたそうです。(Wikipediaより引用)

 

 

伊達方一里塚。江戸から57番目です。

 

歌人石川依平(いしかわよしひら)翁出生地」碑。幕末の歌人で門人300人いたというので、それなりに売れっ子だったと思われます。

 

県道をひたすら西へ向かうのですが、ず〜っと先にこの日宿泊する予定のホテルが見えてきました。

 

葛川の一里塚。江戸から58番目です。

 

創業200年以上と言われるお菓子や「もちや」さん。さすがにこの時間はすでにしまっていて名物の「振袖餅」はいただけませんでした。。。

 

掛川の振袖餅 200年愛される菓子処もちや

 

写真は翌日の朝とったものですが、ここが宿泊したドーミーインEXPRESS。

もう寄り道含めて50キロメートル以上歩いたので、足が棒になってしまい本陣は翌朝確認することにしてホテルにチェックインしちゃいました。

 

こちら本陣跡にある、現在の本陣通り。飲み屋さんが連なっています(^^)

 

こちらには現在の本陣通の店舗配置にならんで、本陣についての解説が広重の絵とともに掲載されています。

 

掛川城の藩主であった山内一豊とその妻千代を浮彫刻にしたもの。清水銀行の建物の壁にあります。

 

豊臣方であった山内一豊は、秀吉によって徳川が江戸に移封されたことをうけ、掛川城の城主となり、関ヶ原では真っ先に徳川方について東軍として功績をあげ、土佐の領地をおさめることとなり、幕末の山内容堂にいたるまで、山内家が土佐藩をしきることになります。

 

その掛川城です。

 

日坂宿から約8キロメートルの距離でした。

 

日坂宿をでるときは夕方6時を回ったところで、私のペースは1キロメートルあたり12分なので単純計算すると1時間半かかるところでしたが、途中ペースをあげて1時間弱で到着(^^)

 

その分途中の史跡の鑑賞は十分に行えませんでした。。。