今回読んだのはこちら、永井路子著の「美貌の女帝」。
小説の中では歴史小説が自分の好みらしい、ということで図書館の検索機能でいろいろ探していて見つけたものです。
永井路子作品は恥ずかしながら今回がデビュー。
1964年「炎環」で直木賞を受賞し、NHK大河ドラマ「草燃ゆる」「毛利元就」で原作として採用された、歴史小説の第一人者の1人。
この小説は、飛鳥時代から奈良時代にかけて多く擁立された女性天皇の1人、元正天皇が主人公です。
天皇は初代と言われている神武天皇から数えて現在の今上天皇まで126代129人の天皇がいて(南北朝時代の北朝時の天皇も含む)、女性天皇は10代8人誕生しています。
聖徳太子とともに仏教の日本に広めたことで有名な推古天皇が初代女性天皇とされています。
以下女性天皇は以下の通り。
推古天皇 593年〜628年
(画像:Wikipediaより引用)
皇極天皇 642年〜645年
(画像:Wikipediaより引用)
持統天皇 690年〜697年
(画像:Wikipediaより引用)
元明天皇 707年〜715年
(画像:Wikipediaより引用)
元正天皇 715年〜724年
(画像:Wikipediaより引用)
孝謙天皇 749年〜758年
(画像:Wikipediaより引用)
明正天皇 1629年〜1643年
(画像:Wikipediaより引用)
後桜町天皇 1762年〜1771年
(画像:Wikipediaより引用)
10代8人のうち、8代6人が飛鳥時代から奈良時代に集中し、2代2人が江戸時代です。
主人公元正天皇の母は元明天皇、祖母が持統天皇、父は大海人皇子だった天武天皇と持統天皇との間に生まれた草壁皇子。
このころの家系はなかなか複雑です^^;;
(画像:「美貌の女帝」本文より引用)
ここにある、「阿閉(あへ)」が元明天皇、「氷高(ひたか)」が主人公で元正天皇、「軽(かる)」は男性で持統天皇の後に即位する文武天皇です。
この家系図からみてわかるように、天皇家には「蘇我氏」の血脈が母系にしっかりと入っていることがわかります。
推古天皇(33代)自体、蘇我氏の勢力を強大にした蘇我稲目を祖父としており、以降、皇極天皇(35代、37代斉明天皇でもある)、孝徳天皇(36代)、天智天皇(38代)、天武天皇(40代)、持統天皇(41代)、文武天皇(42代)、元明天皇(43代)、元正天皇(44代)と母系に蘇我氏の血脈が続きます。
蘇我蝦夷、入鹿親子は乙巳(いっし)の変(昔はこれを大化の改新として覚えていました)で中大兄皇子と藤原鎌足によって暗殺され、中大兄皇子は天智天皇として君臨し、藤原鎌足はその補佐をしたのはよく知られています。
天智天皇は蘇我家から遠智娘(おちのいらつめ)を嫁にもらい、娘が生まれこれが後に天智天皇の弟大海人皇子(後の天武天皇)の妻となる持統天皇となります。
天智天皇の死後、天智天皇の息子大津皇子に対抗し、吉野に隠遁していた大海人皇子と妻鸕野讃良皇女(うららさらのこうじょ:後の持統天皇)と息子草壁皇子が挙兵し、クーデターを起こします。
これが壬申の乱で、このとき天武天皇側に蘇我倉山田石川麻呂がつき、蘇我氏と皇族との関係を強固にします。
ところが後の権力闘争で、この蘇我倉山田石川麻呂が追い出され後に自害するのですがその時の首謀者が天智天皇藤原鎌足と言われており、中大兄皇子が皇極天皇に蘇我倉山田石川麻呂を外すことを進言しました。
この事件が、結局「蘇我倉山田石川麻呂」一族と「藤原家」との対立という構図を生み、本小説「美貌の女帝」の裏に脈々と流れてそれが各々の考えや行動に深く影響を与えます。
時代は天武天皇亡き後、その持統天皇が統治する時代から始まります。
それまで皇室の母系にしっかりと血脈を受け継いできた蘇我氏の流れに対し、藤原鎌足を祖とする藤原氏の流れが蘇我氏を追い出して皇室に入り込もうとすることで、壮大な権力闘争が始まります。
その政治的な攻防たるや、現在の政治はきっとこういうバランス感覚で行われているのではないかという、ギリギリの駆け引きと見栄と誇りのぶつかり合い。
そしてその中心にいるのが、主人公元正天皇を始め、その母元明天皇、そして祖母持統天皇という女性天皇なのです。
そしてそういった権力闘争の中に、親や兄弟姉妹への思いがぐっと絡み、現代に負けないくらいのストレスフルな社会が描かれています。
古代という資料の少ない時代の中で、ひとりひとりの描写がとても具体的で丁寧であること、政治的流れや駆け引きが絶妙であること、女性のもつ強さ、しなやかさ、もろさといった様々な面をあざやかに描いていること、などなどこの本の魅力はまだまだたくさんあります。
いや〜、永井路子氏、おそるべしでした^^