48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

東海道五十三次ウォーキング 舞坂宿〜新居宿

今回のウォーキングは、舞坂宿から新居宿(あらいしゅく)です。

 

本陣跡近くにある脇本陣跡の看板。

 

西町常夜燈。建立は1813年と意外と遅いです。

 

本雁木跡。庶民用の渡船場跡。

 

海が見えてきました。

 

船場としての雁木跡は、北、本、南と3箇所残っていて、東海道のルートでは本雁木跡をすぎてこちら北雁木跡を通過します。

 

弁天島から浜名大橋を望みます。その橋の向こうは大きな太平洋が広がります。右側に見えるのが赤鳥居。昭和48年に建てられたものらしく、干潮時には鳥居の足元までいくことができるそうです。

 

ここ浜名湖は元々は淡水湖だったのですが、1498年の明応地震と高潮のために境界にあった砂州が崩れて海水が流れ込み、淡水と海水が混じり合う汽水湖になったそうです。

 

弁天島をすぎてからの浜名大橋の眺め。赤鳥居が左側にきています。

 

新居町駅に到着。ここまでくると新居宿はもう少しです。

 

浜名橋にはいろいろな絵が掲示されています。

 

新居関所跡。箱根だけでなくここにも関所を設置したんですね。正式には今切関所と言われていたそうです。今は道の駅のような観光拠点となっています。

 

関所の入口らしき門がみえます。この門は京都側の門。

 

旅籠紀伊国屋跡。紀州藩御用宿で「お七里役所」を兼ねたんだそう。「お七里役所」とは徳川御三家の一つ紀州藩が重要な書類を送付するために、七里(28キロメートル)ごとに置いた飛脚の継立所(つぎたてじょ)のこと。

 

昔の職業を示す看板。

 

関所をすぎてしばらくすると新居宿の本陣跡です。ここは飯田武兵衛本陣跡。

 

こちらは疋田弥五郎本陣跡。加賀、対馬藩の定宿だったようです。

 

 

行程にして約5キロメートルでした。比較的短いですが、ちょうど浜名湖を挟んで昔は渡しがあったので、その渡しを利用する人たちのために両側に宿があったんでしょうね。