コロナ禍で2年ほど中止になっていた母校(中学・高校)野球部のOB会が今年3年ぶりに開催されました。
2〜3年前にグラウンドは人工芝になり、高校の校舎や体育館などが今年建て替えられました。
壊された校舎は、ちょうど私が中学入学したときに新築で建てられたもの。
40数年を経てその役割を終えたのはなんか感慨深いものがあります。
グラウンドで若手と一緒に野球の試合が開催され、その後新築の校舎見学会があったのですが、私は仕事でそれには参加できず。
通常はこの後懇親会があるのですが、まだコロナ禍ということもあり、全員で集まることは控えそれぞれの世代で集まろう、ということになり、私は同期の集まりに遅れて参加しました。
同期は11人。
野球は9人でやるのですが、投手とセカンドが2人ずつで合計11人。
1学年でチームが組めるのは、所属していた野球部では当時の時代ではなかなかなかったんですね。
9人以下の学年が多いため、いつも学年混成でチーム編成されていました。
我々の代はチームが組めたのでほとんどの試合で、このチームでやってきました。
なので、私にとってはとても思い入れのある仲間たちです。
14年前にその仲間の1人が他界してしまったため、現在は10人です。
集まると我々の年代は、だいたい病気自慢、薬自慢、思い出話が多くなりがちなので(笑)できるだけ今の話をしようと(^^)
それでも現役時代の話になると、お互いの記憶がかなり怪しく(笑)「あれ、そうだったっけ?」みたいなやり取りがあり、かえって笑い話になってしまうこともしばしば。
とても楽しいひとときだったのですが、ショックな話も一つ。
4年上の先輩が今年の夏に他界されたこと。
私は現役時代投手をしていたのですが、入部以来ずっと面倒をみてくれた先輩で、常に私を支持してくれていました。
中学1年のとき、投手志望だった私ですが、背の高い本格派と左投げの2人を投手として採用し私は1年ほど外野のレフトというポジションにつきました。
そのときに高校2年生(高校3年生は受験準備のため、部活は高校2年生が最上級生になります)だった先輩が、その配置をした監督を非難。「なんではっしーを投手からはずすのか、俺には理解できない」と言ってくれたんですね。
現役時代のその先輩は投手として活躍されていて、野球センスの塊のようなすごいプレーヤーで、こんなプレーができたらなぁ、と憧れの先輩でした。
中学2年になって監督が変わったタイミングで私は投手になり、先輩は高校3年生となって現役からは引退するのですが、OBとしてずっと指導してくれました。
投手としての技術をたくさん教えてもらい、メンタル面では「おまえはすごいんだから自信持って攻めろ」といつも後押しをしてくれていました。
母校を卒業したあとも、先輩の代と我々の代が仲良かったこともあり、忘年会を一緒に楽しんだりしていました。
その後先輩にもいろいろあって、ここ10年くらいお会いすることができていなかったんですが、まさかお亡くなりになったとは、なかなかその事実を受け入れるのが難しかったです。
何かの用事でお会いする約束をしていたのですが、どちらかの都合が急遽合わなくなって電話で「今回残念でしたが、また今度」とお話したのが、最後の会話になってしまったかもしれません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
我々も年をとりました(^^)