48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

Reunion2〜今度は4年ぶり

このゴールデンウィークは、父のケア目的で実家で時間を過ごすことが多かったのですが、「久しぶり」のReunionも2つばかり。

 

そのうちの一つが先日お伝えした20年ぶりくらいの元同僚たちとの再会。

 

そして今回は同じ職場でしたが別メンバーとの再会です。

 

左から、私、昔お世話になった上司Kさん、元同僚Tさん、Tさんの友人という顔ぶれ。

 

そもそもは、私のブログを見たTさんがご自身の両親のことで、私が直面している状況に近い状況を経験しており、「これは会って話しせねば」と声をかけてくれたことがきっかけです。

 

最初はTさんの友人をご紹介いただき3人で新宿のファミレスで飲んでいたのですが、そういえば新宿に昔お世話になった上司Kさんがいらっしゃるはずだから、声をかけてみよう、ということになり、連絡をいれたら偶然その日は予定がない、という(^^)

 

ではでは、ひさしぶりにお会いしましょう!ということで再会が実現しました。

 

 

 

まずTさん。

 

私がテープを使った記録再生装置の開発設計部署に異動したときにすでにその部署にいたのですが、扱っている商品が異なっていたため、そのときはつながりがほとんどありませんでした。

 

2000年問題を前にした1998年後半から、我々の部署が扱っている複数の商品を、アメリカの大手サーバーメーカーがOEMで採用しよう、という話がでてきて、部署内でもプロジェクト化することに。

 

今はヒューレット・パッカードに吸収されたコンパックというサーバーメーカーで、当日は業界でも勢いある大手会社の1つでした。

 

事業規模が一気に何倍にもなる大型プロジェクトで私が担当していた製品群もTさんが担当していた製品群も対象となっていたので、そのプロジェクトで一緒に活動することになったのが知り合うきっかけでした。

 

朝6時、7時から夜1時、2時まで働き詰めというワークスタイルが数年続いたビックプロジェクト(採用決定後もまた大変だった^^;;)で、Tさんは我々と変わらぬ頑張りをみせてくれた超ハードワーカーでして(笑)飲むのも好きなもんだから、まぁよく一緒に行動していました。

 

お互いの当時の活動をリスペクトしあえるいい仲間です(^^)

 

 

 

そんなビッグプロジェクトに私が絡むことができたのは、その直前の1998年に半年ほどアメリカの販売会社に長期出張していたときの活動がきっかけの一つでした。

 

英語もロクに使えない(当時のTOEICは400点くらい(笑))私が、日本語使えない顧客先に1人で2ヶ月半滞在してミッションこなしたこともその一つ。

 

英語の上手い下手ではなく、アメリカ人とコミュニケーションがとれる、ということを評価してもらったようです。

 

そのアメリカに滞在していたときの現地でDirectorという偉いポジションにいたのがKさん。アメリカ駐在経験が長く、現地採用の従業員と細かくコミュニケーションがとれて一目置かれて、なおかつ冷静で判断早い。もう理想の上司の1人です(^^)

 

私は1人で顧客先に滞在していましたが、私のアメリカ在住時期に、ほんとにいろいろ面倒をみてもらいました。もうKさんに足向けて寝れないです、ほんと。

 

いいときも悪いときも必ず味方でいてくれる安心感を与えてくれる方なんです。

 

 

 

KさんもTさんも、私が前職にいたときに、おそらく私の人生では一番馬車馬のように働いていたときに一緒になって行動していた方々なので、当時のエピソードはいくら時間があっても語り尽くせません^^;;

 

あの当時を経験したからこそ、今の自分があることを改めて感じさせてもらいました。

 

ゴールが見えない長い長い道をひたすら歩くような毎日。

 

負けないどころか、「来るなら来い」くらいの気持ちで毎日対峙していた自分たちは、まぁタフだったなぁ、な〜んて、ひとごとのように思い起こします(笑)

 

 

 

当時の自分はよく頑張った。

 

今の自分も頑張ってみよう(^^)