前回に引き続き石部宿から草津宿への道のりです。
鈎(まがり)の陣跡。権威が失墜した足利幕府第9代将軍吉尚は六角高頼討伐の陣をはったけど、25歳の若さで病没しました。
おもわず「かわべ」と読んじゃいますが、「かわずら」という地名なんですね。
土手のようになっていますがこの向こうは遊水地目川池があります。この地域は琵琶湖の南東側に位置していますが、多くのため池があります。平地にできていることから自然というよりは人工的に堤防を築いて作られた池と思われます。稲田への水の確保が目的だったのでしょうか。
堤防の脇を歩きます。なかなか高いところにあります。
このあたりは「目川」という地域で、ここの説明にもあるように、石部宿と草津宿の間にある立場(旅人の休憩所)として栄えた地域だそうです。
目川の一里塚跡。江戸から118番目です。
「草津本陣」の矢印の向きが微妙ですが(笑)道なりに右へ曲がっていきます。
史蹟老牛馬養生所跡。庄や岸岡長右衛門が老牛馬の屠殺を嘆き余生を過ごす施設を創設したそうです。農耕用に買っていた牛馬も年をとると働けなくなり、となるとただ餌ばかりかかるので、屠殺してしまっていたんでしょうね。
ですが、日本では食用の家畜を飼う文化が九州の一部と彦根藩にはあったらしいので、食用の屠殺だったかもしれません。
国道1号線にぶつかる手前で土手を登ります。ここは土手といっても川や池があるわけではありません。もっと西側に草津川が流れているのですが、むかしこのあたりを草津川が流れていたのかも。。。
この日の朝まで宿泊していたホテルが見えました(^^)ホテルから石部駅まで戻って、やっとここまでキャッチアップ(^^)
横断歩道のある三叉路を左折します。
先程の土手がさらに延長したところに再びのります。このあたりから公園になっていています。その入口にある高野地蔵尊。
2つの土手に挟まれていて長く公園が続いています。向こうに見えるマンションは草津駅近くにあります。
そしたらちゃんと説明の看板がありました。やはりこのあたりは草津川が流れていたようですね。天井川(地面より高い位置に流れていた)だった旧草津川跡になるそうです。
上流から運ばれてくる土砂などが長年に渡って堆積して川床が高くなって天井川になるそうですね。
この右側にある階段を降りていきます。
明治に作られたポストと同じ型だそうです。
歌碑に刻まれている歌は、覧富士記(らんふじき)に収められている尭孝法師(ぎょうこうほうし)の作だそうです。
草津宿〜〜。
宿場町の趣を残したデザインです。
草津宿本陣になります。国指定史跡となっていて田中七左衛門本陣跡は、現存する本陣遺構の中では最大級らしいです。確かに入館料とってるしなぁ。。。
吉川芳樹園店舗兼主屋。藤屋与左衛門脇本陣跡です。登録有形文化財だそうです。江戸末期に建築された模様。草津宿の町屋にみられた特徴を有した建物だそう。
仙台屋茂八脇本陣跡。現在はカフェになっています。
田中久蔵本陣跡です。
いや〜なんとか草津宿に到着しました(^^)
前回同様5キロ前後と距離的には長くはないのですが、さすが草津宿、いろいろ見どころ満載でした。
さきほど登場した草津川は天井川故に洪水被害がひどかったようで、2002年に今の流路に付け替えされたんだそうです。かなり最近だったんですね。
旧流路のところはその後しばらく野ざらしだったのですが、2011年草津市は「草津川跡地利用基本構想」を策定し、2017年に先程の公園が完成されたそうです。
10年前、20年前にきていたら全く違った景色だったんですね。