48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

東海道五十三次ウォーキング 水口宿〜石部宿(1)

大詰めとなってきた終盤戦。今回は水口宿から石部宿に向かいます。

 

道中いろいろと撮影ポイントがあったので2回にわけてお届けします。

 

こちら水口宿の高札場跡。縮小して復元されています。

 

水口宿の通りです。ガイドによるとこのあたりは並行して3本の道があり、どれも旧東海道になるようです。

 

旅篭町曳山蔵。この中に神輿のような山車が格納されていて、お祭りの時に出されるようです。この曳山、一町毎にあるそう。

 

文政年間(1818〜30)に創業したというお菓子屋さん。「忍術もなか」が看板のお菓子だとか。

 

ここは3本の旧東海道がまた1本に交わるところ。時計台が置かれています。

 

近江鉄道本線水口石橋駅。この駅の近くの踏切をわたります。このローカル線、ノリたかったなぁ。。。

 

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水口宿の京都側入口である西見附跡。

 

創業は大正6年。美冨久(みふく)の蔵元。

 

蔵元を抜けるといきなり田園風景が視界に広がります。北脇縄手松並木碑。むかしこの縄手道の松並木の両側には土手が築かれていたそうです。

 

道端の地蔵尊旧東海道にはたくさんの地蔵尊が祀られていますが、これがなんか一番惹かれました(^^)

 

さきほどの地蔵尊からざっと2キロ弱、ひたすら歩いて野洲川の支流である泉川をわたる舞込橋。

 

舞込橋を渡ってすぐに泉の一里塚跡。江戸から114番目で、実際はもう少し先にあったそうです。北塚が縮小復元されているそうです。

 

この向こうは野洲川(やすがわ)で近江太郎の異名を持つ滋賀県を代表する一級河川

 

このあたりは野洲川の川幅が狭くなる地域のため古くから渡河の地域として利用されていたそうです。江戸時代に東海道が整備されると、軍事上の理由で橋をわたすことが認められず、横田の渡しとして渡し場が機能していたらしい。ここがその横田の渡し跡になります。

 

ちなみに江戸時代もおちついた1800年前後では、10月から2月までの渇水期に土橋がわたされたそうです。

 

実際に橋ができたのは明治24年で、横田の渡しはそこで役割を終えました。

 

この歩道橋を渡って国道1号線の反対側にわたり、横田橋という野洲川をわたる橋をこえます。

 

川を渡ってすぐに三雲駅に到着。このあたりから甲賀市に別れを告げて湖南市に入ります。すなわち琵琶湖の南。いよいよ琵琶湖に近づいてきました。

 

 

石部宿までの半分弱くらいになります。