48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

いろいろの中のひとつ

今月は、ほんっとにいろんなことが一気に降ってきて目が回ってます(笑)

 

先日も息苦しさを感じたりして、少々自律神経が参ってるぞ、と思い、走りにいったり、最近聞いていなかったヘビメタ聴いたりして気持ちをあげていました^^;;

 

こういう時は風呂だ!と思ったがあいにくその日近くの銭湯が定休日(が〜〜ん)

 

録画していたワイルドライフを観て、大自然に身を任せてみたり(^^)

 

 

 

ま、そんなこんなでテンヤワンヤの日々を送ってますが、”いろんなこと”の1つが父に関すること。

 

先日父が退院してきたのですが、ついに母が体調不調を訴えてきました。

 

戦前生まれでほとんど弱音を吐かなかった母がついに「しんどいなぁ」と。実際血圧があがるなどの症状が出ていて、それを聞いた妹から早速電話。

 

「もう母は限界だから、施設にいれないと共倒れしちゃうよ!」

 

だいぶ前から施設探しをしてくれていた妹に、「了解、その方向に進めよう。親父は俺が説得する」と伝えて施設探しをお願い。

 

病院が大嫌いで、自宅での生活を切望し、母や妹の言うことを聞かなくなってきた父に、施設入りを説得するのは、かなりの難事業。

 

認識速度も下がってきているので、複雑なことや早い展開は父には難しい。

 

でも母の状態を考えると急ぐ必要があります。

 

幸いにも現時点では父は私の言うことには理解を示してくれています。母も妹も、私が頼み。なかなか重たいぞ、これは・・・

 

私が実家にいく前日妹から「よさそうなところが見つかったのでどうだろう」と。医療事務に携わっていていろいろなところもリサーチして、注文のうるさい妹が気に入ったとなれば、それなりの物件だろう。妹の”目利き”に頼り、「わかった、明日俺が説得する」と伝えました。

 

さて、翌日。

 

日中は在宅で仕事をして、午後実家へ移動。父は寝ていました。

 

退院直前、直後はかなり元気だったのですが、退院して2日もすると、しんどいのか、いつも横になってしまうらしい。「俺はこれからしっかり食事して、運動して回復しなきゃならん」と退院前にそういう決意を、見舞いに来た私にとつとつと力説していた父。気力はあるものの、やはりしんどいらしい。

 

そんな父も夕飯前になんとか起き上がって、一緒に夕飯。

 

この日は父の好きなマグロの刺身。いつも2枚とおかゆとちょっとだったのですが、この日はマグロ2枚のほかにサーモンやほたて、カンパチなどにも手を出して、白米を0.3人分くらいを食べきりました。退院前の決意をまだ失っていない父の気持ちが伝わってくるようです。

 

食事がおわって一息。話をするならこのタイミング、と思って「親父、ちょっと相談がある」と話かけました。

 

我々は父が望んでいるように在宅で生活してもらえるよう精一杯やるつもり

しかしさすがに母がばててきた

いつも母を気にしている父にとっても本意ではないと思う

俺や妹が母の代わりにここにいれればいいが、現時点では仕事や(妹の)家庭のこともありそれがかなわない

このままでは父も母も共倒れする恐れがある

特に夜父が起きることで母が目覚めてしまい睡眠が取れないのが体調不調を招いている

ついては、この近くに父も安心して寝れるところを妹がみつけたので、一緒に見に行かないか

もし嫌でなければしばらくここで寝泊まりしてもらえると母は助かる

病院とは違って自由に帰宅もできるし、食事も制約はないし、24時間誰かが看護する体制ができているので父も夜母に気遣う必要もない。我々も部屋に泊まることもできる。

目利きの妹が気に入っているようなので期待できそうだ

 

じっと話をきいていた父は「そうか・・・わかった。みんなにはいろいろやってもらってるな」とはっきりした口調で、わずかな微笑みをうかべながら言ってくれました。

 

その後しばらく父から母に対する感謝の言葉が続きました。

 

 

 

 

ふ〜。大きな一仕事ができた気がしました^^;;

 

”いろいろある”ことの大きな1つが片付いたかも。。。

 

今回を機に母の体調が戻っていくこと、父にとって程よい環境であってほしいこと、それがこの後の期待です。