48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

父、その後(10)

前回は10日ほど前に老人ホームへ入所したところまでお話しました。

 

穏やかにテレビなどを楽しんでくれれば、という期待を持っていましたが、入所した後もなかなか回復という方向には向かわず、起きているのがしんどいのか、寝ている時間が増えてきました。

 

1週間後、妹が見舞いに行くと、げっそり痩せたらしく、しかも少し苦しそうだというので、血中酸素濃度を測定したら少々低い。

 

妹が「苦しい?病院行く?」と聞いたら父が頷いたので、救急車で再び病院へ搬送することになりました。

 

私もおいかけて病院へ向かい、妹と合流。

 

そこで主治医の先生を交えて3者で話をしました。主治医いわく、「病気は進行はすれど、回復は期待できない。今はもう体を休める段階に入ってきている」とのこと。

 

なので、栄養剤を入れたり、処置をするということの意味はなさなくなってきた段階にある、ということのようです。

 

食事も水分も受け付けなくなっています。

 

実質の余命宣言。

 

こうなると移動することさえ父には負担になるし、実際、移動が無理に見えて仕方ないので、もう老人ホームに戻る選択肢はないと判断しました。

 

父は病院嫌いでしたが、さすがに今は自ら病院に行くと意思表示したように、病院への抵抗感がかなり低くなっているように見えました。

 

この病院の後に老人ホームに戻りたいか、もっとケアが充実している緩和病棟へ転院するか、受け入れられる選択肢はあるのか、父の意志を確認しなくてはなりません。

 

入院して2日後、父を見舞いに行ったのですが、本人はベッドから起きれない。意思確認をしたい、ということを看護士に伝えたら、”特別に”と、ベッドごと部屋に移動させてくれて、そこで面会が実現できました。

 

約30分ほど父と話ができました。私が来てくれたことをとても喜んでくれていたようです。「普段は全然お話してくれないんですよ」という看護士さん。

 

翌日は、妹と母が見舞いに。病院が用意してくれたipadを使って動画で面会したそうです。母も妹もこのときに「お金が多少かかってもいいから、家族がいつでも会える環境に移ろう」と思ったそうです。

 

病院では他の患者さんの関係もあり、面会に制限があり、病棟での面会はかないません。個室ならいいのですが、1日4万円近くもするのはさすがに我が家の経済を考えると現実的ではないです。しかも面会時間は日中のみ。

 

翌日母と妹は、高級ホスピスを探してきたようです。そこならずっと家族も一緒にいられるそうで、父が一番望んでいる時間を過ごせるのではないかと。

 

確かにこの先のことを考えるとお金がかかってもそういう環境を整えてあげたい気持ちになってきました。

 

週明け、父が入院している病院の近くで仕事だった私は仕事を終えた後、せっかくだから、とお見舞いに。

 

ipadでの面会は看護士の付き添いが必要なので原則17時前までらしかったのですが、せっかくだから、と特別にご対応いただき、父と面会できました。

 

ただびっくりしたのが、2日前にあったときより一段と痩せてたこと。言葉を出すのもちょっと苦労しているようですが、それでも会話は成立していて、10分ほど話をすることができました。「また来るからな」「お〜、またな」とお互い声をかけて会話は終了。

 

だいぶ痩せてたことが気になりましたが、翌日病院でソーシャルワーカーさんと打ち合わせを予定していたので、その前にまた顔をだそう、とその日は帰宅。

 

 

 

翌朝早い時間に起きて仕事を始めた所で、妹から電話。「心臓の鼓動が弱っていると病院から連絡がきた」・・・おいおい、昨日話したばかりだろ・・・

 

母は妹宅に泊まっていたので、一緒に妹の車で病院へ。私のほうが近かったので先に到着。

 

父はすでに個室に移動されていて、連絡をくれた看護士の方から状況を伺いました。

 

寝るときはいつもの通りだったのだが、朝になって急に血圧がさがり、今は心肺停止状態とのこと。すでに逝ってしまった、ということか・・・

 

母と妹が到着。担当医の先生がその後にきてくれて、診察。亡くなったことが確認されました。享年85歳。

 

びっくりするくらい、あっという間の出来事でした。こちらは退院後の病棟やホスピスを考えていたくらいでしたから。

 

「そんなことに時間を使ってないで、自分たちのことしっかりやりなさい」という父の最後のメッセージだったのかもしれません。

 

 

 

今回お世話になった病院の先生や看護士さんたちにはとてもお世話になりました。亡くなった後でも父に「お布団かけますよ」とか「お体さわりますね」とかちゃんと声がけしてくれて。丁寧に接してくれていたことを感じました。

 

 

 

父は最後の最後までその生き様を見せることで、人生を教え続けてくれた気がします。

 

認知機能は下がりつつも、ちゃんと意思疎通ができるレベルは維持できていて、直前まで家族と会話をすることができました。

 

思うようにならないもどかしさがあるにも関わらず、最後まで家族のことを心配していました。特に私に対し(^^)

 

父のことを通じて家族内の対話が深くなりました。家族を想うとはこういうことなんだ、と今更なんですが気づくことができた気がします。ほんと、今更です^^;;・・・

 

人生を畳んでいく姿を見せてもらい、その姿が私にとって見本のように映ります。

 

最高の親父でした(^^)

 

この日の夜は斎場で父と一緒に宿泊し、休肝日でしたがビールで献杯

 

親父、お疲れ様!

(写真:Image by Aritha from Pixabay