今回の読書会の課題図書はこちら。
松川事件、砂川事件などを知っている人たちにとってみれば有名な裁判官であり、法学者でもあると思われますが、私にとっては全く未知の人でした。教養の無さがここにも表れている^^;;
田中耕太郎は、1890年(明治23年)に鹿児島で生まれ、東京帝国大学(現在の東京大学)を首席で卒業し、当時の内務省に入省するが、1年半で辞め、東京帝国大学の教授となります。
1938年(昭和13年)には東京帝国大学法学部の学部長に就任。戦後1946年には吉田内閣で文部大臣となって、日本国憲法に署名しています。
その後貴族院、参議院議員を経て、1950年に最高裁判所長官に就任。閣僚経験者が最高裁長官になった唯一の例だそうです(Wikipediaより)。
1961年から1970年まで国際司法裁判所の判事を勤め、1970年に帰国。そして1974年(昭和49年)に亡くなります。
カトリック信者で、反共産主義者。制度の独立を重視し、司法の独立ということにこだわった人物の1人と言われています。
本書はそういう田中耕太郎という人物の”研究”内容をまとめたものです。田中耕太郎という人物が”研究”対象になっていること自体がびっくりするくらい、私はこの人物を知らなかったです^^;;
あとがきを読むと「(中略)田中耕太郎という人物に総体として接近するには、行政学の学知が不可欠である」とあります。ち〜ん・・・私は終わってる(笑)
本書はそういう意味でなかなか読みにくかったです^^;;
なぜなら、かなり多くの人物名がでてきて、それがことごとく知らない人物だからです(笑)明治から戦前にかけての近代史に詳しい人であれば、「お〜こういう人物とつながりがあるのか」という視点で話についていけるんだろうけど、それが私には全くなかったのが残念。
それでも時々でてくる知っている人物名がでてくるとほっとします。
最初に田中耕太郎が宗教に引かれるのは内村鑑三の無教会主義キリスト教であり、一高在学時代の学長が新渡戸稲造という、近代の三大日本紹介本(注)の2人がこの人物に絡んでいたのは驚き。
(注)近代の三大日本紹介本:私が勝手に命名(笑)「武士道」を書いた新渡戸稲造、「代表的日本人」を書いた内村鑑三、「茶の本」を書いた岡倉天心の3人を指しています。この3人はほぼ同じ時期に明治になってまもなく世界的に評価が低かった日本の価値を知ってもらおうと、それぞれの視点で日本を紹介する本を海外向けに英語で出版したものです。
志賀直哉とも住んでいた千葉県の我孫子からみでつきあいがあり、昭和天皇からも評価されていたと書かれています。
Wikipediaによると、今の上皇陛下、上皇后が軽井沢のテニスコートで出会った時、その場に田中耕太郎もいたらしく、それは吉田茂らと一緒にこの出会いを演出した人物の1人だったかららしい。
また二・二六事件で予備役に左遷されていた荒木貞夫が文部大臣になったあたりのところでは、個人的に二・二六事件に関心を持っていて(この時に暗殺された高橋是清は母校の初代校長でした)、当時の首謀者の一人と思っている荒木貞夫がでてきたので、「おいおい、ここに出てくるか」と個人的な関心度が上がりました^^;;
時間がなかったのと、読みにくさもあり、かなり斜め読みしてしまって中身を十分吟味することはできなかったのですが、法学者として、その独立性を重要視し活動してきたのであろう、ということはなんとなく伝わってきました。
多くの価値観を持つ人達が集まることで社会が生まれ、その社会の中にいることで力のある生物になって、ある意味生態系の頂点に君臨している人間。その社会を保つ要素の一つが「社会のルール」だと思います。
社会のルールの代表格が法律であり、その法律によって是非の判断をするのが裁判官や法学者だったりします。ゲームで言えば審判に役割、というのが私の解釈。
審判にはプレーヤーから独立した存在でフェアな判定が求められます。
そういう観点で見ると、司法の独立は社会生活の中でとても重要だと感じることはできるかと。
一方で、その独立性に疑問を持たざるを得ないような社会も存在します。政府傀儡の裁判システムになっている国はその一例でしょう。
小学校の時に学んだ司法、行政、立法の「三権分立」がなぜ、”分立”する必要があるのか、ともう一度考えるきっかけになるかもしれません。
しかしこの本に出てくる人物をWikipediaで調べるだけでも、結構な研究になりそう(^^)なので時間があればそんなこともやってみたいけど、今の限られた時間での優先順位を考えると、当分お預けになりそうです。