9月1日は防災の日、としてよく知られていますが、関東大震災が発生した日でもあります。
しかも今年は、関東大震災発生100年にあたるとのこと。
1923年(大正12年)午前11時58分に発生した関東大震災。震源地は相模湾北西部で、推定マグニチュードは7.9。
この地震によって全半潰・消失・流出・埋没の被害を受けた住家は総計37万棟にのぼり、死者・行方不明者は約10万5000人に及んだといいます。
ここ100年で「大震災」と呼ばれる大きな震災は3つあります。
(画像:内閣府防災のページ、より引用)
この関東大震災に加えて、阪神・淡路大震災、東日本大震災です。
その中でも関東大震災は被害規模がダントツに大きかったことが、経済被害額にも表れています。
関東大震災時の被害額は55億円と他2つに比べて小さく見えますが、当時の国家予算と比較するとその大きさがわかります。
関東大震災は当時の国家予算4年分の被害額で、今で言えば200〜300兆円に相当すると言われています。
人口が集中している首都圏だったこともあり、被害が大きくなった側面もありそうです。
「大震災」の定義は明確なものはないようですが、基本地震の名前は気象庁が命名し、その中でも被害が甚大だったものに対して政府(内閣)が災害名として「大震災」の名称を設定するらしいです。
日本は4つのプレートがぶつかるとてもめずらしい地域にあり、そのプレートの境や、プレートの活動で発生した陸地地下にある活断層が地震を引き起こすので、世界的に見ても地震が多い地域のようですね。
(画像:内閣府防災のページ、より引用)
伊豆半島はフィリピンプレートに乗っかっていて、それが日本列島にぶつかってその歪で丹沢山系ができたと言われています。(余談(^^))
日本では地震を通じていろいろと学んできています。
関東大震災を機会に増えたものが「公園」。上野公園など大型の公園に避難した人たちが救われたことをうけて、復興作業に「公園の増強」が含まれたそうです。
街区公園数は2023年で全国では神奈川県6,522個をトップに東京6,519個、北海道6,007個と続きます。
阪神・淡路大震災をきっかけに広まったのが携帯電話らしい。1995年に発生した阪神・淡路大震災、このときは携帯の普及率はまだ9%くらいだったそうですね。それが一気に普及率があがります。
(画像:社会実情データ図録より引用)
震災の翌年1996年には一気に25%くらいまで跳ね上がっていますね。
東日本大震災をきっかけに広まったものとしてはLINEが有名ですね(^^) 「既読」マークは、電話に出れなくてもそれを読むことができたことを示すことで安否確認ができるために搭載された機能。既読スルーでストレス貯めるためのものではありません(笑)
ここ30年以内で大きな地震がくる確率が70%以上と言われている首都圏。
地震は我々ではどうしようもないことだから、起きた直後に対応して、どれだけ早くリカバーするかが問われるのが日本にいる人の宿命でもあります。
私の普段の荷物が重たいのもその理由の一つ。
パソコン、携帯の充電池(4回くらいフル充電できる大型)、ある程度の現金、実印や銀行届け印とキャッシュカードを常に持ち歩いているから(^^)
これは東日本大震災を経験してからずっと続いている習慣です。
最近でもいろいろと地震直後の対応も変わってきているようですね。
避難所はマンションが多い首都圏では、収容しきれないのでマンション在住者は自宅待機を要請されたり、一気に帰宅すると道が大混雑して二次災害を引き起こしかねないので企業内で数日滞在できる体制をとるよう要請されたり。
今までは首都圏で震災が発生したら両親を北海道のマンションに避難させようと思っていましたが、父も亡くなり、北海道のマンションも売却するので、プランを練り直さないと。
今いるマンションで2〜3日滞在できて、3日後くらいに都内の妹宅に避難できれば、それが一番安全かな。
これを機会に、”備え”を考えてみるのもいいですね。