(画像:NHKホームページより引用)
少し時間が経ちましたが、今月はあの9.11が起きた月でもあります。
2001年。その時は私は仕事を終えて同僚と雀荘で麻雀を打っていて、友人からのメールで事実を知ったけど信じられず、帰宅してテレビをみて唖然とした記憶があります。
あれから22年。
この番組では、その時をきっかけに大きく運命が変わってであろう3人にスポットをあてて、今のありようについて考えさせる構成になっています。
番組で取り上げたのはこの3人。
バーバラ・リー
個人的に良い悪いの評価をするつもりは全く無く、これらの人物を通じて何を見るのか、何を感じられるのかが大切だと思います。
1980年代はアメリカ合衆国は不況にあえいでいたところ、「強いアメリカ」を打ち出してレーガンが大統領につきます。
1983年にトランプタワーを建設、1990年には一度破産危機に直面するも、その後に事業を回復させ再び不動産王として実業家のトップの1人として活躍します。
2001年9月11日、そのときトランプはトランプタワーからワールド・トレード・センター(以降WTCとする)を見ていて、飛行機の突入を見たそうです。
このとき「アメリカは今日から変わった」とインタビューで答えているのが印象的です。
その後「You're fire!」でTV番組で人気が出たトランプ。2012年に「Make America great again」という言葉を商標登録していたそうです。これはかつてレーガンが大統領時代に多用した言葉。
移民排除など、アメリカ・ファーストをうたって2016年、圧倒的不利と言われながらも大統領選挙にトランプは勝ちます。アメリカの分裂はここからさらに加速しているのでは、と言われています。
バーバラ・リー
黒人女性初の下院議員として1998年に当選。アフリカ系移民の家系で政治に関わる必要性を感じ、子育てをしながら政治活動を行っていきます。
彼女が有名になったのは、2001年9月14日、 アメリカ下院議会で、「ブッシュ大統領に武力行使を認める決議」が採択された際、、ただ一人反対票を投じたときです。
国内がテロ許さじ、という世論一色の中、「武力行使反対」の姿勢を議会で表明しました。
その後嫌がらせや脅迫などにさらされ、国中から非難をうけることになります。
このとき下院議会でのバーバラ・リーの演説が乗っているネット記事を見つけました。
http://home.cilas.net/yunami/9jo/barbara.html
この演説の中で印象的だったのは、
However difficult this vote may be, some of us must urge the use of restraint.
(反対投票がどんなに難しくても、誰かが自制を唱えなければならない)
というフレーズです。
日本は「同調圧力が高い」とか「出る杭は打たれる」という風潮が多々見られるだけに、この勇気と行動力をどれくらい感じてくれるのだろう、と思います。
1991年の湾岸戦争で、黒人初の統合参謀総長としてアメリカ合衆国に勝利をもたらした英雄の1人。
ベトナム戦争にも2度従軍した経験から、常に戦争に対しては慎重的な立場をとっていたといいます。
2000年に大統領選挙ではブッシュのアドバイザー的な存在となり、ブッシュが当選後黒人初の国務長官に任命されます。
その直後の9月11日は、米州機構会議に出席していたそうです。
米国がその後テロ対策としてアフガニスタンだけでなく、イラクにも侵攻することを計画します。その時の大義名分が「大量破壊兵器をイラクが保有している」でした。
合衆国政府は信任厚いパウエルを国連で演説させることによって国際世論を味方につけます。
しかし、その後の公聴会で2004年、イラクには大量破壊兵器はなかったということが判明し、パウエルもこれを認めます。
どんな理由であれ、自分が取った行動、国連での演説は汚点であり、一生かかえることになる、と語ったパウエルは2005年に国務長官を辞任し、表舞台から姿を消します。
2016年トランプが出馬したときは、同じ共和党員でありながら、民主党のヒラリー支持を表明し、トランプの掲げる移民排斥などの方針に反対を姿勢をみせました。
2021年1月、トランプ支持者によるアメリカ議会襲撃事件があった際、パウエルはメディアを通じて「トランプ支持者との対話が必要だ」ということを訴えていました。
2021年10月、コロナ感染による合併症で亡くなりました。
その後のアメリカ
この番組では、9.11以来アメリカ国内で始まり、トランプの出現で加速した”分断”だが、女性議員の数は増えているなど、ここで終わらないのがアメリカの凄さ、として、新しい人たちを紹介しています。
イスラム教徒初の議員となったイルハン・オマル氏。ソマリア難民の女性です。
パレスチナ難民2世で議員当選したラシダ・タリーブ氏。この方も女性です。
プエルトリコ出身で女性最年少の29歳で議員当選したアレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏。
日本は内閣改造で5人の女性閣僚を登用したといいながら、副大臣、政務官には女性ゼロ。もちろん適材適所の登用が第一ですが、事情を知らない私のような国民は、「表だけ体裁ととのえてるだけ」という印象を持ってしまいます。
いろいろな面がどの国にも、どの人にもあり、良い悪いの評価と結びつけるべきではないと思いますが、内部から変わっていく強さはアメリカに学ぶところが多いのではないか、と感じます。