48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

大黒屋光太夫

毎週火曜日夜10時からNHKで放映されている(東京地区)「先人たちの底力 知恵泉」で2週続けて放映されたのが「大黒屋光太夫」。

 

(画像:NHKプラスより引用)

 

1週目は「生きるか死ぬか 極北のサバイバル術」

 

2週目は「皇帝を動かした諦めない心」

 

恥ずかしながら私はこの人物のことを知りませんでした^^;;

 

まずざっくりどんな人物か。

 

大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)は江戸時代後期、現在の三重県鈴鹿市あたりを拠点としていた船の船頭です。

 

天明2年(1782年)に、江戸に向かう途中で嵐に会い、船が漂流しアリューシャン列島に漂着してしまいます。当時そこはロシア領で、簡単には帰国できず、苦労して約10年後にやっと帰国を果たした、というサバイバルな人です。

 

放映された番組によると、キーとなる要素が2つあったように感じました。

1つ目は、「現状を受け入れて今できるベストを尽くす」。

 

もう1つは、タイトルにもありますが、「諦めない」。

 

1つ目の「現状を受け入れて今できるベストを尽くす」というスタンスは、節目節目で光太夫の行動に現れます。

 

船が嵐にあったとき、帆柱を切断する決断をします。帆柱があるとバランスが取りにくくなり転覆するリスクがあるのですが、自力走行できなくなるため、漂流することを覚悟しなくてはなりません。今命をつなぐためには、という究極の選択をしたんですね。

 

ロシアに漂着したあと、光太夫たちは言葉も通じない人たちを相手に途方に暮れます。そんな時に、ある乗組員が偶然、ロシア語の「これなに?」という意味の言葉を知り、それをきっかけに、ロシア語をどんどん吸収して、現地のメンバーと意思疎通を図れるようになります。そして現地の人にお願いして帰国用の船をつくってもらったんですね。

 

その船は残念ながら出航前に沈没してしまうのですが、その後現地の高官と積極的につながりをもち、その人達を説得して日本への帰国をしぶるロシア帝国を動かすべく、最後はロシア皇帝エカテリーナ2世に直談判する機会をもらえるまでになります。

 

自分たちだけではどうにもならないことを、上手に人を頼ることでプラスアルファを目指そうとしていたんですね。

 

もう一つは諦めない。

 

「絶対日本に帰国するんだ」という気持ちを捨てなかったから、エカテリーナ2世への直談判を通じて帰国が実現できたんですね。

 

当時鎖国をしていた日本と通商交渉を持ちたかったロシアは日本と交渉するために、日本人が漂着したら国で保護して通訳を育てようとしていたそうです。

 

なので、光太夫たちにも破格の待遇のオファーがあったらしい。

 

太夫は、漂流が始まったときも、ロシアに漂着したときも、極寒のシベリアを移動するときも、とにかく諦めなかった。

 

10年という歳月は、言葉にするのは簡単ですが、凍傷でやられるかもしれない極寒で、しかも得体のしれない言葉の通じない人たちが支配している地域で、自分を保つことは、想像を絶する過酷さがあるのではないかと思います。

 

ここは私の勝手な想像ですが、きっと光太夫は「しゃーないやん」と思える人だったんじゃないか、と。

 

「文句言ったって、しゃーないやん!なんとかせな、生きられんわ!」(なぜか関西の言葉・・・)みたいな(^^)

 

結局17名で遭難し、1人が船内で死亡、11名はロシア領内で死亡、2人はロシア正教に改宗して残留、3人が根室に帰国できたが、そのうち1人は喀血病で亡くなったので、江戸に戻れたのが2人だけだったといいます。

 

太夫が戻ってから、幕府はロシアに関する見識をたくさん得ることができ、日本のその後の外交政策に大きな影響を与えました。

 

余談ですが、多くの乗組員が病気や栄養不足、凍傷などで亡くなっていくのですが、船頭であった光太夫は生き残ります。

 

ただ体力があっただけではなく、やはり「絶対日本に帰る」という強い気持ちが生命力を支えた、いわゆる「病は気から」を体現した人ではないか、というのが私の妄想。

 

いや〜、すごい人がいたもんだ。。。