48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

週末のReunion1と2

この週末は同窓会が3つも。

2つが土曜日で1つが1日曜日。

本日は最初の2つです。

 

ランチタイムで前職でお世話になった先輩。

夜は高校の同窓会でした。

こちらは私が幹事をやっていたので

無事終わってほっとしているところです(^^)

 

本日は先輩との同窓会について。

入社以来間接部門に配属されて5年。

間接費用削減の煽りを受けて、開発・設計の部署へ移動になりました。

その時

「5年も設計やっていなかったんだから

今更何ができるの?せいぜい頑張ってな」

と手厳しい挨拶をしてきたのがこの先輩でした。

この先輩、社内での花形の設計者で

「さっさと仕事終わらせて飲む、遊ぶ!」が

かっこいいスタイルだ、と豪語し実際にそのように行動していました。

 

戦力になれなかった私は当時「猫の手1号」と呼ばれる始末。

名前で呼ばれないんです(笑)

組織上上司部下の関係になったことはほとんどなく、

もっぱら仕事終わってからの飲みのお付き合いが多かったです。

 

移動して3ヶ月ほどしたとき

私の専門分野での分析を必要とする仕事ができ、

研究所で分析をしていました。

この時大事な発見をどうも私がしたようだったのですが、

(私は気づいていない(笑))

この先輩はすべてを語らず「数字でかたってみろ」としか

行ってくれなかったのです。

でもこれがよかったんです。

私は大事なポイントに自分で気づくことができました。

当時の専務にも説明するくらい大きなものだったようで、

それ以来、この部署でちょっと存在を認めてもらえるようになった気がします。

 

先輩は事あるごとに私にちょっと高い目標をみせてくれていました。

それをクリアしていくのが楽しかったんですね。

「猫の手1号」だった私は6年後に管理職に昇格していました。

(私のボスはその6年間で課長から取締役に昇格していました(笑))

何の役にもたたないかも、と不安にさせた先輩でしたが、

一方で大きな自信を生み出してくれました。

この時の6年間が、前職で一番成長した気がします。

 

海外に半年ほど出張にいったとき

この先輩はそこに赴任していて、

アメリカでの生活をサポートしてくれました。

その後お互い職場も立場もかわり、

同じタイミングで会社を辞め

先輩は転職先の社長になって海外から帰任してきました。

 

また馬鹿な話を肴に飲みに行くことができそうです。

 

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