48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

十三回忌

12年前の勤労感謝の日、私はアメリカ赴任を前に、前職でお世話になった先輩の奥様と、一緒に世話になった同期の輩たちから壮行会をやって頂いていました。

 

お世話になった先輩はその数年前にお亡くなりになったのですが、終電なくすまで一緒に飲み歩き「おい!今日は俺の家に泊まれ!」となかば強引にタクシーに拉致され、真夜中に何度もお邪魔していました。

 

奥様はそのたびに「来るなら来るとちゃんと連絡してちょうだい!」とせの先輩を叱り飛ばし、その刀を返して「あんたたちものこのこついてきてどうするの!」なんてお叱りをちょうだいしていました(^^;;

 

でも2〜3分もすると、お酒とつまみをだしてきて一緒に飲み始め、酩酊状態の先輩は先に寝て、その後奥様と飲み続ける、なんてことがよくあったんです。

 

先輩のお墓にお参りした後、アメリカでは美味しい寿司は食べられないだろう、とお寿司をごちそうになっていたときでした。

 

高校時代野球部で私とバッテリーを組んでいた元キャプテンから電話。

 

同窓会兼ねた忘年会の連絡か?と思いながら電話に出たら「Yが死んだ」と。。。

 

何が起こったのかまったくわからず、呆然とはこういうことかと後から気づくくらい、ぽっかりしてしまったのが12年前。

 

野球部の同期のYが亡くなってから今年は仏門的には十三回忌にあたります。

 

彼のお墓参りはこのブログでも何度か投稿しましたが、くるたびに同じような気持ちがよみがえってきます。

 

3年前にお墓の場所を知ってから毎年来ようと思っていましたが昨年はタイミングを逸してしまって2年ぶりの訪問でした。

 

見晴らしのいいところにあり、天気もよかったのでお墓のそばでしばし景色を眺めていました。

 

なんか彼の声でも聞こえてこないかなぁ、なんてちょっとオカルトっぽいことを冗談半分で期待していましたが、残念ながら聞こえず(^^)

 

ただほんのちょっとしかいたつもりがなかったのが、実は1時間もそこにいたことに帰りのバスの時間を見て気づきました。

 

自分の中で時間が止まっていたのかもしれません。

 

中学、高校時代に野球部で一緒に活動していたこと、マラソンが速くていつも敵わなかったこと、久しぶりにあったら高校時代の3倍位の体格になっていてびっくりしたこと、などなどいろいろな思い出が蘇ってきます。

 

野球部の仲間でも普段もなかなか会えない同期はいて、それこそYの葬儀以来会えてない人が半分以上。

 

Yが生きていたとしても会えてない可能性はあるから、なんか今いないことがまだピンとこないのが正直なところです。

 

それでも故人に向き合うときは、なんか身体にまとわりついた邪念がお線香の香りとともに消えていくような気持ちになり、ほんの一瞬ですがピュアな気持ちになれる気がします。

 

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写真は逆光だったのでちゃんと写っていませんが、なんとなく何かが差し込んできているような画にみえて、これはこれでいいかな、と(^^)