今回の読書会の課題図書は「イスラム教の論理」でした。
著者の飯山氏はイスラム思想研究者で、コーランを典拠にイスラム教の姿を紹介してくれている本です。
Amazonの書評を見ると肯定的な評価、否定的な評価両方共多くあり、文字通り賛否両論の本です。
著者は「コーランにはこのような記載がある」という例をあげながら、イスラム教はこのような教えをしている、ということを紹介し、それに純粋なまでに忠実に従っている人たちが「イスラム国」に代表される「イスラム原理主義」の人たちで、非イスラム教の国々とある程度の協調をもつイスラム社会を「穏健派」と位置づけています。
目次には衝撃的な言葉が並んでいます。
世界征服はイスラム教徒の義務である
コーランを字義通り解釈すれば、日本人も「殺すべき敵」である
自殺はダメだが自爆テロは推奨される
民主主義とは絶対に両立しない価値体系
「人生を楽しむ」という発想はありえない
著者も言っているのですが、「コーランに素直に従えば」イスラム教はこのような思想なのだそうです。
正直、これからイスラム教信者の人たちとお付き合いができるのか、お付き合いしていいのか不安になる言葉の数々・・・
「価値観の多様性をお互いに認め合おう」を心情としている私としては「安易に考えるな」と戒められているような気持ちになりました。
そして宗教は「ことの善悪」を定義するものさしでもあることを、改めて感じさせられます。
何も研究していない自分が宗教を語るに値しないことは百も承知なのですが、宗教は人々を統治するツールという側面があるという印象をぬぐえません。
日本では古くに蘇我氏が中国から仏教を輸入し、神道を司っていた物部氏から権力の座を奪いました。
中世のヨーロッパはキリスト教の布教とともに世界進出を果たしました。
ホモ・サピエンス全史によると、ホモ・サピエンスは「虚構」の世界を作ることでネアンデルタール人にはできなかった繁栄をつかみました。
その「虚構」の世界の一つが「宗教」です。
大きな繁栄を掴む一方、その繁栄のために犠牲となった人類、生物がたくさんいるのも事実です。
今ホモ・サピエンス同士でさえも繁栄のための犠牲を是とする思想が、決して小さくない規模で存在していることをまず自覚しないといけないですね。
冒頭にも触れましたが、本著は賛否両論で著者のコーランに対する解釈がおかしい、という指摘もあります。
それが事実かどうかはあるいはどう解釈されるかは、ここでは問題ではなく、自分が「こうだろう」と思っていた世界の外に世界があることを認識することが大切だと思いました。