サピエンス全史を読んで徒然思うことを何気なく書くシリーズ(勝手にシリーズ化している・・・)
今回は「子孫繁栄の勝利者は?」というお題。
以前我々ホモ・サピエンス・サピエンスという種が多くの動植物を絶滅に追いやり、そして認知革命を経て生態系の頂点に立っていることをお話しました。
そしてその大きな要因が「虚構」の世界を作ることで認知革命を起こしたことにも触れました。
さて・・・
今「生態系の頂点に立った」を記載しましたが、確かに我々ホモ・サピエンス・サピエンスはほぼすべての動植物を支配しているような気になっています。
果たしてそうか?
ハラリ氏はそんな問いかけをしています。
農業革命。
ハラリ氏の年表では1万2千年前に起こった人類にとっての三大革命の一つ。
これにより植物を栽培化し、動物を家畜化し、永続的な定住生活を始めます。
これまでの狩猟生活では、森や草原に移動して、木の実を採取し動物を狩って食糧を得てきました。
つまり餌を求めて人々は移動する生活が当たり前のスタイルだったわけです。
それが移動せずにずっと同じところに滞在するという生活スタイルに変わったことはとても大きな変化と言えましょう。
人々は安定して収穫が得られる小麦や米といった穀物を中心に栽培します。
そして育てやすい牛、豚、鶏といった動物を家畜として育てタンパク源を確保します。
一般的にはこの農業革命により人々は豊かになって人口が増え、子孫繁栄につながった、と言われています。
果たして・・・
農業革命以前の全世界人口は現在のエジプトの首都カイロの人口くらいだったらしい。
(約1千万人弱です)
200万年前にアフリカ大陸より移動し始めたホモ・サピエンス・サピエンスは、1千万人程度だったのが、わずか1万2千年で70億人と700倍です。
農業革命によって人は定住したのですが、ハラリ氏は面白い視点で語っています。
定住”した”のではなく、定住”させられた”のではないか、と。
どういうことか。
人は穀物を育てるために、一日中穀物の面倒を見なくてはならなくなった。
しかも人が耕地を開拓するので、穀物は人によって分布を広げることができたのです。
すなわち、「人に生息範囲をひろげ自分たちを育てさせる」ことによって穀物は子孫繁栄をしてきた、と見ることができる、ということです。
人は「穀物に利用された」動物であり、人の方が穀物に隷属させられる運命を選んでしまった、というわけです。
これは面白い視点だと思いました。
同様なことは実は犬や猫のようなペットもそうです。
人が犬、猫を飼っている、のではなく、人が世話をさせられている、という見方。
特に犬は古くから人と一緒に生活をするスタイルを確立していたらしく、人に取り入ることで自分たちの子孫繁栄をしてきました。
日本では今登録されているだけでも犬は850万頭、猫は960万頭余りです。
(日本ペットフード協会よりhttps://petfood.or.jp/topics/img/201223.pdf)
人口の約1割を占めているんですね。
これは10歳くらいまでは各年齢100万人くらいいるので、ざっと10歳以下の年齢の人間の数に相当します。
ハラリ氏は、こんな私の薄っぺらい記述ではなく、もっと具体的な例を示しながら丁寧に状況を解説してくれていますが、穀物やペットに実は人のほうが操られているという見方は、とても興味深いと思いました。
人は穀物によって土地にとどまらざるを得なくなり、穀物を育てるために1日中面倒をみなければならなくなり、穀物は自然界にある植物性食糧などに比べると栄養価が偏っているため、病気が生まれ、定住しているためその病気が感染しやすい環境にあり、定住しているから子供の面倒を見やすくなったことから子供が増えて、結局豊かになれない人が増えてきた、という実態が生まれてきたようです。
豊かになるのは穀物を育てる人たちを”支配する”人だけ。
これが富の格差の原点だ、と指摘しています。
今我々の身近にみられる数々の社会問題の原点は、この農業革命とともに生まれたと感じさせられます。
なぜ脱却できなかったのか。
傲慢さ、なのかなぁ、と感じます。
自分が上に立っていたつもりだけど、自分の視界の及ばないところで実は先をこされていて、自分の思い通りにしていたつもりが、思い通りにされている、という、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空のような状態にあることを、認めようとしなかったというところかな、と。
最近よく頭に浮かぶ言葉が「足るを知る」。
強欲に突き進むといずれ、自然界というお釈迦様の手のひらが我々をギュッと握りつぶしちゃうんじゃないかな、と妄想が浮かんできます(^^)